2012年3月28日水曜日

Billingsgate Market


東京の築地市場、シドニーのフィッシュマーケットに負けず、ロンドンには Billingsgate Fish Market という魚市場がある。

海に面していないロンドンに魚市場があることは、移住してくるまで知らなかった。

もともとは19世紀にロンドンブリッジ 、シティにほど近くに建てられた世界一の規模の魚市場。1982年に同じ名前のまま、東ロンドン Isle of Dogs に移転してきた。
現在は Canary Wharf の高層ビル群のすぐ裏に位置する。まったく、こんな所に魚市場があるなんて、誰が考えるだろう?というロケーションである。

DLR沿いに住むようになって1年。この魚市場には度々お世話になっている。

朝5時くらいから始まり、8時には閉まってしまう(らしい)ので、土曜日に早起きして出かける。

シャケ丸一尾の半身が毎度だいたい12ポンド。
巷のスーパーの魚コーナーや Borough Market の価格を知る者には笑いが止まらない値段。

毎回これを買ってきて切り身にし、すぐ焼いて食べる&刺身でいただく、残りは冷凍というのが定番で、だいたい一週間くらいかけて食べきる。脂が乗ってたまらん。

これはタラ。

いつもシャケとタラばかりで冒険せずにいたので、今回は目新しいムール貝に挑戦。
両手で抱えるくらいの量が網に包まれシャケの横にドンと置いてあったので、とりあえず値段を聞くと、「2.5ポンド」。

え?

一瞬耳を疑ったが、シャケと一緒に会計するとやはり2.5ポンド。
ムール貝、1.5キロはある。2.5ポンド。


早速夕方ワイン蒸しにしていただく。うししし。

 
まいう〜。
 
その他、冷凍魚介類4袋10ポンドというのを見つけ、 エビチリやフリッターに良さそうなむきエビと大きめイワシの袋を組み合わせて買った。
どれも結構ボリュームのある袋なので、お得感満載。

いつも行くスーパーの魚コーナーが日本ほど充実していないため、渡英以来お魚から遠ざかっていたが、Billingsgate と出会って食生活が相当充実してきた。


翌日ムール貝とワインの残り汁とエビでパスタにした。
これもやゔぁい美味しい。(写真失敗した...)

お世話になってます。


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2012年3月25日日曜日

Canary Wharf Week 2 総括


Canary Wharf での会社員生活2週目。
毎朝の通勤が楽しみである。今のところ、Heron Quay で下車し、古巣のTR社のビルの電光掲示板で動くニュースの文字を目で追いながら、Jubilee Park を通り抜けるのが通勤路となっている。

先週金曜日にNYからやって来た社員Kが一週間丸々一緒だった。私と同期のJをトレーニングするためだけにやってきたらしい。金曜日の夜、我々とKの歓迎会という名目で、上司のXを含め4人でディナーに行った。金曜なのに予約もせずに行けるようなカジュアルな店だったが、会社のお金でこんなふうに飲み食いするのが久しぶりで新鮮だった。前職でもチーム飲みはあったが、あの時は会社ではなく上司のポケットからお金が出ていたと思う。

Kは最初はたいした印象もない米人だったが、このディナー会に始まり、今週は一日何時間も説明や質疑応答で時間を共にすることとなり、さらに放課後もう2回チームの誰かの声掛けで飲みの席が設けられ、だいぶ親睦が深まった。ノミニケーションの効果は万国共通の認識のようだ。

先週は業界の基礎知識などの講習が多かったが、今週からより具体的な実務の説明に入った。主にチームの担当業務の概要と、いくつかある業務ツールの役割と基本的な操作方法が中心であった。Kが直接説明するものに加え、NYにいる担当からのWebexによるセッションもあった。はっきり言って後者は眠気との闘いでだった。連日狭い会議室での講義が続き(ガラス張りなのがせめてもの救い)、一日中英語を聴いてはメモを取りっぱなしで、体力というよりも神経が疲労しきっているに違いない。おまけに電話だとエコーが入ったりで正直、英語もかなり聞き取り難い。質問はほぼJに任せ、私は相槌を打っているのがやっとだった。

講義に加え、データベースツールを使った情報処理や、取引先へのツールのデモの練習など、より実践的な内容も入ってきた。私はこれまでの職務経験のおかげか、データベースの運用は得意であると自負している。いくつもツールがある状態で、どこのどれとどこの何が繋がって、何の情報が欲しい時はどことどこに入ったら取れるとか、そういうのをぱぱぱっと判断・処理するのがうまいので(自分で言っちゃったよこの人)、一度からくりを理解すれば、この手の処理の速さと正確性では他の人に負ける気がしないし、これから他を圧倒して行く予定である(言い切った)。目下の難関はデモ。ツールの操作や各ボタンの意味についてはしっかり理解しているので、間違った説明をすることはないものの、それらをWebex(つまり説明は電話)で英語で相手にわかりやすく伝えるのが難しい。これまで2回ほど、XとKを相手に練習デモを行った。どちらも評価は悪くない。電話だからメモを見て話せるし、決して変な英語を喋っているわけでもなく、内容は問題なく伝わっているのだろうが、主に言葉の障壁で相手の質問が理解できない(致命的w)&何か詰まった時や不測の質問にスマートに対処するのが不得手でいる。まあ、その昔東京ディズニーリゾートのバイトで長いスピールを覚えてこなしていた経験から、こういうのは場数を踏めばそのうち考えなくても勝手に口が動くようになり、相手の質問も予測がつくようになるのだろうと楽観的に考えている。実際に説明する相手も、スペイン人やポーランド人やモロッコ人だったりするのだろうから、多少コミュニケーションで手こずっても、最終的にちゃんと伝われば許してにゃん。

今週は幾度か会社の人と飲みの席が設けられ、古巣の向かいのバーこちらのメンバーズテラスに潜入する機会を得た。社内でのWebex講習会やこうした飲みの席で得た情報を総合すると、同じ業界にあっても前の会社とこの会社の違いというのが色々見えて来る。もっとも、同じ社内にあっても部署やチームやオフィスのロケーションによってカラーは様々だろうから、一般論を語ることは難しいし、先週の総括で述べたように、日本で仕事をしているのとロンドンにいるのでは、本社(米)との距離感が全然違う。こうした様々な条件を考慮し、辿り着いた現在の見解としては、一にも二にもロケーション(Canary Wharf)重視で入った会社にしては、我ながらまずまず良い所に潜り込んだんじゃないかなと思っている。元同じ会社出身の上司もそう言うので、尚更信憑性がある(笑)。その実のところはまだまだこれから見えてくるのだろうが、せっかくゲットした環境なので、リターン3倍を目指して毎日を大事にやっていきたい。

以上、バタバタと総括終了。
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2012年3月19日月曜日

Canary Wharf Week 1 総括


憧れの Canary Wharfで就職し、最初の一週間を早速振り返ってみよう。

初日に出社すると、PCやモニターのセットアップが完了しておらず、上司(この仕事に私を引っ張ってくれたX)、向かいの席のA(同じチームではないが非常に関連の深い仕事をしている)と、同じ日に入社したもう一人のチームメンバーのLと4人で、会社所有のカフェテリアへ行き、コーヒーを飲みながら世間話をし一時間程費やした。本来なら、面接に登場したもう一人の同僚Kがいるはずなのだが、一週間前にラグビーをしていて脚を複雑骨折したとかで、長期療養中だった。Xのことは知っていたが、AとLから自己紹介めいた発言はなく(もしかしたら私が出社する前に既に済んでいたのやもしれん)、会話の端々から彼女らの正体を探ることとなった。私以外は全員イギリス人なので、当たり前だがイギリス人のスピードで英語を話す。私はロンドンにいながら、長らくどっぷり日本語環境に浸かりまくっていたため、正直質問されている内容を100%理解できているかも怪しかったが、ここでつまずいていては先がないので、とりあえずわかったような顔をして座っていた。しかし会話の中で頻出するイギリス人独得のフレーズと思われる言い回しや単語をこっそりカタカナでメモり、後で辞書を引いたりして。これは、この一週間ずっと続けているもはや習慣。

ちなみにオフィスは11階の窓側で、上の写真の通りO2が見えたりと眺望は申し分ない。しかし手前に建設中のビルがうちのビルより高くなるらしく、この眺望とお別れするのは時間の問題かと思われる(哀)。会社全体でこのビルの7階から12階迄を占拠している。7階はほぼ全域カフェテリアと座るスペースで、8階以上がオフィスのようだ。

私を知らない人のために簡単に説明すると、この仕事は金融情報サービスベンダーのコンテンツオペレーション部門に属する。10年くらい前、住宅ローンを組めるようとりあえず何でもいいから正社員の仕事を探していた時に、いつかロンドンに行った時に日系の銀行などに就職するのに有利なように、という理由で入った前職の某社と全く同業の競合。振り返ってみればあの時の選択がまさに功を奏し、策略通りロンドンで同じ業界に就職できたわけです。

初日のお昼前から、早速業務に関する説明が始まった。まずはイントロ、"Overview of Financial Market" という、主に金融経験のない新入社員向けに用意されたスライドだったが、ハッキリ言って私にはわかりきっていることばかりだったので、一応頷きつつも適当に流しておいた。もっとも、10年くらい前に初めてこの業界に入った前職の某社ではこういう説明は誰もしてくれなかったので、実は今更『そうだったのか!』という発見もちらほらあった。その後も一週間を通して "Overview of Estimates" やら、様々なデータコントリビューターの種類やらテーマ別、またNYにいる担当者がWebexでプロダクトやサービスの説明をしてくれたけど、製品も以前いた会社のものと大差なく、私にとって新しい内容は特になかった。プロダクト、ツールや呼び名こそ違えど、ロジックは同じ。データの説明に関してはむしろ、私のほうが詳しいだろう、と思う内容も多かった。しかし、2年半のブランクの間に忘れていたり変わっている部分も多少あったし、何より最初から期待値を上げるよりは低めからスタートした方が評価の面で何かとお得かなと思い、今のところ黙って聞いている。

反対に同期のLは、前職で一応金融情サ関係にいたものの、このての内容にはまったく素人。若さもあってか(といっても20代後半)、初心者にしては理解は良い方に思えるが、彼女がこちらからすれば「わかりきった」質問をするため、私にとってはかなりスローペースでトレーニングが進んでいる。こちらは言葉のハンデがあるので、最初から頑張りすぎるよりは「余裕」なペースで抑えておけるのは良い点だが、そろそろ若干のフラストレーションが生じてきたので(そして上司のXもそれに気づいているようである)、来週から低い方に足並みを揃えるのはやめ、個人的に先に動こうかと考えている。今まで日本の市場しか見ていなかったので、EMEA市場の動き方や働き方は違うだろうし、ぼちぼち新しいワールドを見られる頃かと期待している。

今になってわかったことと言えば、グローバル企業における時差の重要性。日本で働いていた時分は、ロンドンと9時間、NYとは14時間の時差があり、リアルタイムで会話する機会がほとんどなかった。こちらが動いている時に向こうは休んでいるため、メールを出しても返信を丸一日待たなくてはならない。ロンドンとNYは今は時差4時間。当たり前のように電話で会話し、メールは即答。しかもこの人たちみんな同じ言語で簡単に通じ合う。これじゃ、北米グローバル事業の事業の多くが欧米間で決定し、日本を含むアジアのプロファイルが低く、欧米のおまけ化してしまうのは仕方なし、と思えた。

一週目は久々に英語をシャワーのように浴び続けるのが不必要な疲労に繋がった感があるが、業務自体は楽勝で、全く苦労なく終了した。2週目〜当面の目標は、とっとと自分なりの業務遂行方法を確立し自信を高めることと、上司の親バカ話に適切な相槌を打てるようになること。

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2012年3月15日木曜日

ゴールを迎え、ブログ一新します。

さて、このブログのタイトル RCW とは、Road to Canary Wharf (Canary Wharf への道)の略です。

15年ほど前にCanary Wharf を始めて訪れ、「いつか絶対ここで働く」と決めた筆者が、約10年の潜伏期間を経て、いよいよロンドンに上陸、夢の Canary Wharf で働くまでを勝手にドキュメンタリー化しようと始めたブログです。

この度、念願叶って本当に Canary Wharf での就職が実現しました。

さらっと書いているけど、これは自分にとってはすごいことです。

というわけで、ゴールのCanary Wharf へ到着してしまったため、Road to Canary Wharf はこれにて終了となります。

今後は、Road in Canary Wharf として、心機一転、憧れの Canary Wharf での日々を綴っていきたいと思います。

引き続きお付き合い下さい。
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転機 〜 理想の仕事が突然舞い込んで来た。


B社に勤めて約4ヶ月。第一印象こそ良くなかったものの、人間関係もうまくかわせば問題ないし、責任ある仕事もたまに手がけたり、賃上げ交渉にも成功し、それなりによろしくやっていた。Canary Wharf へ転職したいしたいと言いつつも、LSE 時代と比べれば血眼になって求職活動をしていたわけでもない。まだ学生ビザがPSW(Post-Study-Work visa。2年間英国で就労可能なビザ)に切り替わっていなかったので、就労ビザが下りるまでは勝算はさらに少ないと思っていたから。

2011年末に申請したPSWビザは、1月中旬に届いた。よし、ではそろそろ理想の職探しでも始めるか、と思った矢先だった。

機会は向こうからやって来た。 1月も下旬に差し掛かったある木曜日、マイクロマネジングな契約書の就労契約に反し、勤務中にFacebookをチェックしていると、かつて勤めていた会社のイギリスのオフィスにいた同僚で、現在はCanary WharfのQ社でお偉くなっているXからメッセージが届いた。Xは私よりも先に前職を退き、Canary Wharf の会社に転職した。Xと私は仕事上、直接絡みはなかったが、前職在職中の2009年に私が渡英した際、同じく当時のイギリスの同僚Gと飲む約束をしたところ、既に転職していたが近所のビルに勤めていたXをGが誘い、3人で飲んだ。その後、私がLSEにやって来た際に、Xにも「ロンドンに来たよ」と一本メールを送っておいた。彼も忙しいようで、その後1年、ほとんどやり取りはなかったので、この日届いたのは実に久しぶりの、突然のメッセージだった。

メッセージには、「日本人の友だちで仕事を探している人はいないか?いたらこちらのメールまで連絡を入れて欲しい。(Xの会社のメアド)」とあった。

...。

3回くらい読み直しただろうか。その1分後には、「日本人必要なら、ここに私いますけど?」とXにメールを送っていた。

間もなくXから返信があった。 実は日本語スピーカーのポジションがあり、人を捜しているとのことだった。私はまだ学生をやっていると思っていたらしく、誰か知らない?的な連絡をしてきたらしい。ジョブスペックが添付されていた。読んでもし興味があったら連絡して欲しい、CVも一緒に、とあった。

さすがの私も、そのジョブスペックを会社で広げることはしなかった。帰宅後、スペックを見ながら同時にCVを作成した。仕事内容は特に気になる点もないし、正直それはさして重要ではなかった。Canary Wharf で就職できるなら、営業以外何の仕事でも構わなかったし。日付が変わるまで黙々とCVを作成し、夜中の2時くらいに送付。翌朝Xから返信があり、その翌日に一杯やりながらポジションについて話し合った。

私の経歴はこの仕事には申し分ない、と正直自分でも思った。一応、正式に来社して面接を行う必要があるということで、Xと会ったに翌日に人事から電話を受けアポを取り、その3日後の朝一番にQ社に赴いてXとその同僚の2人と面接をした。この時点で、今回募集をしているポジションには日本語が必要ないということがわかった。そのため、私のセールスポイントから日本語という最大の武器が失われてしまった。それでも、自分の実績がこのポジションには多大な価値があるという自信はあった。同時に、言い換えれば自分はオーバースペックであるという不安も若干あった。

パスポートと取れたばかりのPSWを人事がコピーを取って持っていった。面接を終えB社に出社すると間もなく、Q社の人事から次の最終面接の案内があった。アメリカとの電話面接が3日後に設定された。

数ヶ月前にC社を受けた際は(前の記事参照)、アメリカとの最終面接はものの15分足らずで終了したので、今回は若干気楽に構えていた。が、蓋を明ければなかなか密度が濃くしっかりとした面接だった。向こうは早口のアメリカ人が3人も出て来て、代わる代わる1時間、びっちり質問攻めの面接だった。しかも、「こんな場面に遭遇したことは?その時どう対処した?」というような、典型的な就職面接の質問が多かった。まあ、それらしい回答はちゃんと用意していて、テーブルの上に紙を広げて喋っていたので、困りはしなかったけど。何が参ったって、アメリカ人の英語が早すぎて、半分くらいの質問は内容を推察しながら答えていた。言い直して下さいと頼んだ質問も3つくらいあった。これはもう仕方ない。ネイティブじゃないし、許してにゃん。

結果は2週間以内に、と言われたが、翌日には人事から電話がかかってきて、口頭で仕事のオファーがあった。こう急速に話が進んだのには実は訳があり、最初にXとパブで会って仕事内容を聞いた際に、「3週間後から日本へ行く」と伝えてあったのだった。だから、首尾良く行けば出発前にオファーを出せるスケジュールで全てが進められていたのだ。一般枠で応募していたら、こんな融通が利く事はなかなかないのではないか。事実、Xから話があるまで、このポジションを募集していることすら、まったく認識していなかった。

人事から電話でオファーがあってから3日後、雇用契約書類が自宅に届いた。すぐにサインして返送したが、まだまだ乗り越えなければならない関門があった。一つ目にして最大の難関が Reference。会社によっては、Reference(推薦人、保証人みたいな感じ?)を2人用意して、その人たちのコンタクト情報を提供せよみたいなところもあるが(B社がそうだった)、今回はこれまでにない形式だった。まず、私が過去5年間の勤務履歴と、働いていない期間は何をしていたのか、時間の空白が空かないように細かく情報を提供する。すると、Q社と契約している外部ベンダーが、それらの勤務先を一個一個当たって裏を取る。こんな仕事があるとは、初めて知った。ともかく、私は過去5年間の経歴(ロンドンでのインターン含む)と学歴を提出した。この外部ベンダー、HPを見ると、「グローバルオフィスで世界各地の employment verification に対応」とかなんとか書いてあったが、日本を担当しているのはインドのオフィスの様子。私の日本での勤務先は、曲がりなりにも外資系企業だったので、人事の人も多少なりとも英語は話せるわけだが、ドメドメの日本の会社なんかの場合、一体コミュニケーションが取れるのだろうか...。事実、私の勤務履歴の確認を担当したインド人から、提出した過去の勤務先や学歴の半分くらいについて、「XX社(および△△大学)コンタクトが取れないから担当者の連絡先を教えろ」的な依頼のメールが届いた。調査が始まる前に提出しているだろうがボケ。しまいには私が過去の勤務先に在職証明を出してもらい、それを転送したり、大学の卒業証明/成績証明を転送したりして、ようやくおとなしくなる始末。これって、サードパーティによる確認作業の意味あるのか?最初っからそういった書面を提出しときゃ済む話では...?

この一連の過去の経歴調査が終了するまで入社日が決定できないと言われ、気が気ではなかった。当然、B社への退職届の提出も遅くなる。結局、経歴調査開始から一週間程度経過し、インドの担当者から追加情報依頼が届く最中、Q社の人事から連絡があり、「もう入社日を決定するに十分な確認が取れたのでOK」と言われ、ようやくB社に辞表を出すに至った。

入社日が決定してからも、実際第一日目に出社するまでは気が気ではなかった。なにしろ私はこの国では外国人だし、永住権もなく、労働許可も期限付き。いつ内定を取り消されるかという不安が常にあった。契約書にサインしてあっても、入社日が決定し、給与振り込み口座を連絡しても、B社に辞表を出してからQ社で初日を迎えるまでは、毎日メールをチェックし、「内定取り消し」のメールが届いていないことを確認しては安堵する日々を送っていた。

雇用契約にサインしてから約一ヶ月後、ようやくQ社への初出社日を無事に迎えることができた。15年間憧れていた Canary Wharf に、初めて「通勤」のために降り立った朝は、ようやく成し遂げた偉業(自分としてはかなり)の実感が湧かず、妙に冷静だった。同時に、これまで過度の期待をして内定取り消しになったら困るという警戒心から、心底嬉しい気持ちを抑制していたため、喜びを爆発させたい気持ちと、いよいよこの時が来たとこれまでの道のりを回想し感慨深い思いと、いろいろな感情が入り交じって、結果どうしてとても平静だった。

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2012年3月11日日曜日

入社一週目に転職活動


8月中旬、締切の一週間前に修士論文を提出し、母を連れて3週間、地中海クルーズ旅行に出た。表向きには『日本へ帰国』という理由でロンドンを空けたため、日焼け対策に余念がなかった。

楽しい地中海からロンドンに戻って間もなく、9月半ばの月曜日に、この会社(B社とする)に入社した。この時点で実はまだこの会社への不安はおおいに残っていた。それもこれも、第一印象が最悪だったことに起因する(前の記事参照)。事前に送ってもらった契約書も、その不安を煽る材料となった。契約書には、これまで勤めた会社のそれに見られたような、労災、情報の取り扱いなどの記載はほどんどなく、代わりに目につくのは、「ランチは12時から14時の間に食べる」とか、「病欠の場合は朝10時迄に連絡する」とか「業務中にヘッドフォンで音楽を聴いてはいけない」とか、なんというかしごくマイクロマネジメント的な内容が目につく。加えて、狭くて洗練されていないオフィス、個性の強い社長、なんだかよどんだ空気... 考えると果たしてどれだけその環境で仕事を続けて行けるか不安になる(始まってもいないのに)。

入社3日前の金曜日、家でネットをいじっていると、LinkedIn の右側のバーに、「あなたが興味のありそうな求人」みたいな感じで、「日本語データアナリスト in ロンドン」というのが出てきた。詳細を見ると、業界こそ違えど、どうも私が以前日本でやっていた仕事に限りなく近い。求人を出している会社(C社とする)を調べると、どうやら米系大手のちゃんとした所のようだ。これから入る会社をすぐ辞めたりクビになったりした場合の保険と思って、早速CVを送ってみる。すると、ものの数時間で人事担当者からメールがあり、週明け月曜、つまりB社への入社日当日に、C社の電話インタビューをすることになった。

C社の人事担当はオランダにおり、電話で40分程話し、会社概要、仕事内容や志望動機やら一般的な面接トークをした。 話せば話す程、自分の経歴がC社の募集しているポジションにぴったりに思えた。人事担当も同じように感じたらしく、その日のうちにC社ロンドンオフィスでの面接のアレンジに移った。

C社のロンドンオフィスは、シティのちょっと外れ、LSEからもそう遠くなかった。人事担当と話をした数日後、定時きっかりにB社を退社し、あわててC社へ向かって5時半から面接を受けた。ボスの女性と同僚になる男性社員2名が現れ、まずは「自分の経歴を、この仕事の内容とマッチングさせながら説明してください」というリクエストがあった。ジョブスペックは熟読してきているし、自分の経歴もドンピシャだったので、これは簡単にクリアした。その後は、面接でよくある「○○な場面に遭遇した時の経験談、対処法」といった質問が続いた。その後、PCを使って製品やツールを見ながら、業務内容を細かく説明してくれた。途中、こちらから質問をしたり、会話もテンポよく進んだ。面接官の感じも良く、格段難しい内容の質問もなく、面接は1時間強で滞りなく終了。結果は数日以内に連絡があり、アメリカのオフィスと最終面接があるかも、と伝えられた。

翌日には人事から連絡があり、最終面接の案内があった。ロンドンオフィスの面接での私のパフォーマンスが非常に良かったと何度も強調された。約3日後の夕方、アメリカにいる大ボスとの電話面接が設定された。当日はそさくさと帰宅し、机の上に自分のCVとジョブスペック、質問事項を書いた紙を広げ、電話を待った。時間になって電話してきたのは、NYにいる女性の大ボスだった。先方も私のCVを読んでいる上、先日のロンドンの面接の様子も伝わっているからか、こちらから自分の説明は全くなく、いきなり「何か質問は?」と聞かれた。3問くらいこちらから、ロンドンオフィスで尋ねたのと似たような質問をし、回答があって、15分程で通話終了。なんともまああっという間の面接だったが、感触はすこぶる良かった。

翌日の朝一番で人事から電話があり、仕事のオファーがあった。嬉しい、がそれよりも、「やっぱりね」という気持ちのほうが大きかった。だって、私の経歴とこの仕事のスペックが本当にドンピシャだったから。むしろ、落ちていたらかなりショックだっただろう。給与も今のB社より高く、B社よりも格段きれいなオフィス、 そして大企業なので、マイクロマネジメントの窮屈さもないだろう。

しかし、結果的に私はC社のオファーをお断わりした。この頃迄に3週目に入っていたB社の仕事がまんざら悪くもなく、楽しんでこそいないものの、新人ながら責任ある仕事もまわしてもらっていて、すぐに辞める理由も特になかった。そして、C社での仕事内容が、前職にあまりにも似ていた(だから受かったんだろうが)。そのため、新しいスキルや経験を手に入れるチャンスに乏しい気がした。最大の決定打は、もしC社に入っても、そう遠くない将来にきっと理想のCanary Wharf に仕事を見つけて転職してしまうだろう、という根拠のない自信と希望的観測だった。どうせ数ヶ月で辞めることになるなら、このままB社にいて直に転職するほうが、履歴書の傷も少なく済むだろう。

C社のオファーに悪い点は全くなかった。無職だったら喜んで受けていただろう。が、上記のような、特に3つ目の、今思えば全く異常なまでの楽観的な見通しから、魅力的なC社を蹴ってB社に潜伏する道を選んだ。C社にはお詫びに友人を紹介し、結局この友人がめでたくC社のポジションに収まった。

B社入社1週目の転職活動はこうして幕。以降、ぶーぶー言いながらもあがかず大人しく勤務しながら時期が来る(=Canary Wharf の求人)のを待っていた。


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半年勤めた勤務先にたどりついたいきさつ


この半年ほど勤務していた会社を本日退職した。

昨年7月、LSEでの試験が終わり、まだ修士論文の焦点が定まらずにひーひー言っていた頃、大学のキャリアサービスのサイトでこの仕事を見つけた。

日本語が出来る人フルタイムという募集だったので、詳細は開示されていなかったが、日曜の朝、とりあえずささっとCVとカバーレターを送付。翌月曜の朝10時には電話がかかってきて、その翌日の火曜日に面接に行くことになった。

当日会社のあるビルへ行き、まずうっっと思った。ビルが古めかしくてなんか寂しい...。さらに、中小企業がたくさん入ったこの雑居ビルの中、探せど探せどこの会社のオフィスが見当たらない。ようやく探し当てたオフィスは、長い廊下の一番奥にあり、20畳ほどのスペースに机がひしめき、汚くはないが、整理されていない書類や統一感のない色のコーディネートで、とにかく「雑」な印象。隣接する会議室に通された。

まず、イギリス人2人と英語で面接をし、こちらからはひととおり経歴の説明をし、会社の事業内容や担当業務内容、条件などの話があった。その後、パソコンを使って、会社が関係が深い業界の用語と翻訳(英→日、日→英)の20分間のテストがあった。さらにその後、日本人の社長と日本語で面接。率直に言って最悪の印象。まず、会議室を使うからとその場を追われ、雑居ビルの1階の受付横の狭いロビーの、おせじにもきれいとは言えないソファに座って話すことに。なんだかつまらなそうに、そして何より私に興味なさそうにしゃべる社長。私の送ったCVを見ていないのもありありだった。帰り際も、「じゃ、また連絡します」と一言、挨拶もなく立ち上がり、私を一人ロビーに置いて立ち去った。

繰り返すが、最悪の印象。おんぼろビルの煩雑オフィス、付き合いにくそうな社長...。どうせ向こうも興味ないだろうから、この会社に来た事すら忘れようと思いながら帰路についた。 ろくに会社情報を調べもせず来た私も悪いのだが、貴重な時間と交通費を返してくれとぼやきたくもなる程だった。

翌日の昼、図書館で修論に取り組んでいると電話があった。昨日挨拶もなく立ち去った例の社長からだった。もう一度来て欲しいと言う。昨日は全然興味なさそうだったのに、二次面接?とにかく早いうちにもう一度と言うので、翌々日の金曜日に行く事にした。

二度目の訪問時は、前回とは別人のようにニコニコした社長に迎えられた。会議室で着席し、2、3世間話をしたところで、間もなく仕事のオファーがあった。先日相当どうでもいいあしらいをされたため、全く拍子抜けさせられた。就職希望者からの応募は多くあると強調しているので、「その中からなんで私を選んだのか?」と聞いてみると、「日本でのビジネス経験があった事と、翻訳テストの結果がとても良かった事」という答えだった。

正直、初訪問の印象があまりにも良くなかったので、このオファーを受けようかどうしようか迷った。世間話をしながら数分考えた。この会社の焦点は、私がLSEで専攻した内容と少なからず関連が深かった。小さい会社で、素人目にはこれから伸びそうに思える分野を扱っているので、うまくハマればいろいろな業務経験を積む事ができそうだ。勤務地は理想のCanary Wharfとはほど遠いが、自宅から通いにくくはない。何より、8月末に修士論文が終わるまで活発な就職活動をする時間と労力がない。先に働き口を押さえておくのはしごく賢明に思えた。

この時7月中旬。修士論文の提出が8月末。実はその後、母と地中海を廻る旅行を企画していたのだが、そうは伝えず、日本に帰る予定があると言った。なので勤務開始は早くて9月の中旬になると申し出たところ、それでも構わないという返事だった。また、当時私は学生ビザで滞在しており、卒業後はPSW(Post-Study-Work visa) に切り替える見込みであったが、それも問題ないと言う(日系や大手では、見込みでの採用はしてくれない事が多い)。これが決め手となった。

とりあえず口頭で入社の意思を伝えた。新卒の失業率が20%のイギリスで、 就労ビザを持たない外国人が、まずまともな職にありつけることがラッキーだと考えられる現状。LSEが終わった後もロンドンに滞在する理由を確保でき、肩の荷が下りたことは言うまでもない。
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