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2013年12月10日火曜日

Boris Johnson


ロンドン市長、ボリス・ジョンソンの講演に当選し、
久しぶりに我が母校 LSE へ出かけて参りました。


講演前に先に亡くなられたマンデラ氏への黙祷。
彼も2000年にこのLSEのステージで講演したそうです。

で、ボリスの話のテーマは The Future of London within the UK。
オリンピックが大成功した後、今後もロンドンのプロモーションに
力を入れたいボリス。
テムズ川に島を作って、サイクリング島にするなど、
ロンドンをアムスやストックホルムに並ぶ自転車王国にしたいそうです。


しかしさすがボリス。トーク力が半端ない。髪型も半端ない(笑)。
最初っから最後まで笑いっぱなしで、
途中からは笑いどころに着いて行くのに神経を使い、
講演内容をあまり覚えていません(笑)。





ありがとうボリス。

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2012年10月28日日曜日

LSE 同窓会

少し前の話ですが、LSE の MSc Environment & Development 2010/11 クラスの同窓会が行われました。

Charing Cross と Embankment の間にある Gordon's Wine Bar。
ここは以前にもコースの飲み会やら何やらで何度か訪問しており、最後に来たのはもう一年以上まえだけど、ビッグベンのある国会議事堂でのレセプションで酔っぱらいまくった後。記憶も朧な夜でした...。

同窓会と言っても、コースが終わって一年以上経って、いまだにロンドンに残っている人の方が圧倒的に少ない。それでも約10人程が集結しました。

さて、気になる同窓生の進路について。
アメリカ人男性:LSE後はロンドンのNGO、博物館でのインターンやテンプの仕事を経て、最近米国大使館にてインターンを終了。数ヶ月後にまた大使館で環境関係の仕事が空くかも、という可能性を待ちつつ現在は無職。
イギリス人男性:持続可能性に関する意識調査を行う団体にて有給インターン。
インド人男性:シティでカーボントレード関係のインターン。内容的にはおもしろそう。
エクアドル人女性:再生可能エネルギー関係のリサーチ団体で、記事を書くジャーナリスト。彼女はLSE の前に取った学位がジャーナリズムなので納得。
インド人男性:ロンドンの公文式の学校でパート講師。

詳しく話を聞けたのは以上。
こうして見ると、ロンドン残留組で、学位とまったく関係のない分野でフルタイムのサラリーマンをやっているのは私一人である。

他に、この日参加していなかった同窓生の進路については、人づてで聞いた話& Facebook のステータスなどながら以下のように把握している。

ギリシャ人女性:ブリュッセルのヨーロピアンコミッションでインターン後、LSEで知り合った男性(国籍忘れた)と結婚、現在ギリシャで妊娠6ヶ月。
韓国人女性:LSE に来る前に勤務していた韓国外務省に復職。
フランス人女性:フランス政府機関のプロジェクトでナイロビに派遣。最近ロンドンに戻った。
イタリア人女性:オランダのエネルギー関係の団体に契約勤務。もうすぐ期間満了。
スウェーデン人女性:ブリュッセルの Biodiversity 関係の団体でインターン。彼女はLSE修了時すぐにブリュッセルに渡り、現在2団体目。
ドイツ人女性:ワシントンDCの米州開発銀行に勤務。内容等詳細不明。
ドイツ人女性:ブリュッセルのヨーロピアンコミッションでインターン。
ハンガリー人女性:ワシントンDCの世界銀行でのインターン後、パリのOECDに勤務。内容等詳細不明。
ギリシャ人男性:ルクセンブルクの欧州開発銀行でインターン後、現在はブリュッセルの恐らくEU関係の機関にてインターン。
イギリス人女性:香港のデロイトで監査の仕事。彼女は中国系なので、親の希望との声も。
ガーナ人男性:LSE後、ケンブリッジでマスターをもうひとつやっている。
アメリカ人女性:地元の団体で環境エコノミストとして就業。

こうして見ると、ヨーロッパ組はEU関係の機関でのインターンが多い。


なんだかんだでみな専攻と関連のある環境・開発分野で活躍している、または活躍の下地をつくっている様子。

アジア組は、国に帰っていることは間違いなさそうだが、残念ながらほとんど詳細不明。もっとも数もそんなに多くないのだが。恐らく、私と同様、民間の一般企業に就職している人が多いのではないかと思う。

同じ土俵にいた人が華々しく活躍するのを見ると、若干複雑ではあるが...。まあ私は私で、長年の自分の夢がLSEをきっかけに無事に叶ったので満足です。

近々またロンドン組の同窓会があるようなので、さらなるアップデートを楽しみに。




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2011年12月16日金曜日

LSE 卒業式




12月15日にLSEの卒業式がありました。

外国の大学の卒業式と言えば、ガウンを着て帽子を被って... というイメージが先行しますが、本当にガウンを着て帽子を被るのには少々ビックリしました。
映画の中の世界だと思っていたもので。

あのガウンや帽子は、自分で買う事もできるようですが、ほとんどの学生はレンタルします。
実は私は、レンタル代がもったいない(いくらかかるのか実際ちゃんと調べていなかったのですが、勝手に100ポンド以上すると思い込んでいた)ので、前日までガウンは着ないで普通のフォーマル服で参加する予定でした。
が、卒業式の前日に卒業証書を受け取りに大学へ出向いたところ、別の学部の卒業式が行われており、見ると卒業生は一人の例外もなく全員ガウンを着ている!!

これは...一人だけ着ないで参加するのは、場違いというかむしろ哀れ...

でもガウンのオンライン予約は終わってしまったし、どうしたものか...

と、ふとガウン貸し出しカウンターを眺めると、期待通り "Last Minute Hire" の文字が。
当日申し込みで55ポンドで借りられることがわかり、ほっと一安心。
ちなみに事前に予約をすると49ポンドだったそう。

これが55ポンドのLSEガウン

LSEの卒業式は、Presentation Ceremony と呼ばれ、大学内にあるシアター(普段は劇など一般向けの演目が上演されている)で行われます。
日本風に簡単に言うと、いくつかの学部が合同で行う卒業証書授与式。
この日も、シアターは朝、昼、夕方と入れ替え制で卒業式が3回行われていた様子。
我々地理環境学部は、国際開発学部、ジェンダー研究所などと一緒の開催でした。

出席した生徒は全員壇上で名前を呼ばれ、大学の偉い人(誰だったか...)と握手をするので、20秒くらいはステージの上で脚光を浴びることができます。
さらにDistinction(優)の成績を修めた学生は、わざわざ名前と一緒に "with distinction" と添えられていました。
うちのコースは45人程度の学生のうちだいたい半分強くらいが参加していただろうか。
ヨーロッパの学生はわざわざ家族を連れて飛んできている人が多かった。
一方、アジアやアメリカはわざわざ式のためだけに戻って来る人はあまり見られなかった。


式の後にはレセプションがあり、ワインやおつまみが振る舞われました。
教授陣もうろうろしていたようだけど、あいにく私は疲れきって早々に切り上げてしまったため、どこに誰がいたのか把握できず...

LSEが終わってからも、ずっとロンドンに、LSEにすぐ行ける所にいて、しかも週に一回はLSEのスペイン語クラスに通っているため、「ああ戻ってきた!」的な感動が薄かったというか、またいつでも戻って来られる感が強くて、さほど後ろ髪引かれる気持ちがなかったのはこのためでしょうか...

しかし、学生生活が終わってしまったんだな、という実感は一気に湧いてきました。
なんだか寂しい。
もっとも、またあの勉強の日々に戻れと言われても困ってしまうけど。もしその時は、次はちゃんと真剣に考えて学部学科を選びます(苦笑)。

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2011年11月19日土曜日

LSE 修了〜1年を振り返る。


このブログの当初の主旨はLSE留学ブログで、実際LSE情報を求めて訪問してくださった方もいるようなので、ここらで久々にLSEネタを挿入させていただきます。
今回ばかりは、LSE情報を求めて、またはなんらかの縁あってこのブログを訪れてくれた方に向けて、「です」「ます」調で書きます。

この度、昨年10月から在籍していたLSEの MSc Environment and Development を無事修了しました。

イギリスの修士は一般的に1年間であっという間です。LSEの場合、実際授業が行われるのは10月〜12月の前期10週間、クリスマス冬休みを挟んで1月〜3月の後期10週間のみ、その後は6月に試験があり、8月に修士論文を提出して終了でした。

卒業に必要な単位は4ユニット で、私は必修の通期(前期と後期両方)1ユニット、選択科目の通期1ユニット、前期の0.5ユニット、後期の0.5ユニット、そして修士論文1ユニットを選びました。

① Sustainability: Economy, Technology and Industry 必修1ユニット
② Environmental Regulation: Implementing Policy 選択1ユニット
③ Population and Development: Analytical Approach 選択0.5ユニット
④ Business Model Innovation: Base of the Pyramid 選択0.5ユニット
⑤ Dissertation 1ユニット

選択科目の選択肢は通期1ユニット、半期0.5ユニットそれぞれ色々あるけれど、0.5ユニットを取るとその分試験の数が増えるので、あえて一つ通期の科目を取りました。
ぶっちゃけますと②はそんな理由で選んだので、あまり興味のある分野ではなかったり...。

①②はコースの後半に3,000語のエッセイがあり、成績の25%に反映され、残り75%は試験の点数で決まります。
③は100%試験の点数、④は試験はないけど2,000語のエッセイ一本とグループプロジェクトが50%ずつのウェイトを占めました。
持ち回りでプレゼンをしたりはあったけど、プレゼンの出来や出欠、またクラスへの貢献度を成績に加味することは一切なし。あくまで「書いたもの」だけが採点の対象になるというポリシーが色濃いです。
これは、学部やコースにより違うのだろうか?不明。

エッセイは文献を見て書くことができるけれど、試験には何も持ち込めないので、あちこちの文献で読んだネタや情報を自分の意見の裏付けに使うために覚えておくのが結構な作業でありました。
特に、国籍不明の外国人の名前を覚えるのは苦労したな...。Smith とか Jones とかなら楽勝なのだが、なんと発音するのかもわからないエキゾチックな名前の学者は参るワ。

6月に試験を終え、8月末に修論を提出し、ようやく成績が出たのが11月18日。
50点以上でPass(可)、60点以上でMerit(良)、70点以上でDistinction (優)というランク分けです。
私の成績はというと... まあおもしろいくらいおもしろくない成績でした。
結果からすると全科目総合で Merit なんですが、全科目が3点のレンジの中に入っている... つまり、特に良い科目もなければ悪い科目もないという、実に平均的な成績に終わりました。

とは言っても、無事に卒業することができて(しかもMerit)、何の文句もございません。
一節によると、Pass で出るのと Merit で出るのでは、後々いろんなところで影響が出るとか?(新卒の就職の場合、気にする会社があるそうです。)
まあ私くらいの年の中途採用ならあんまり関係ないのかもしれませんが...。

1年を振り返って、最も印象に残っているのは... やはり④のコースでインドの田舎に実地調査に出かけたグループプロジェクトでしょうか。
このコースは私が所属していた地理学部のコースではなく、マネジメント学部に横入りして履修していました。
内容に興味があったのも本当ですが、ズバリ『試験なし』が決め手となって選んだコースでしたが...。
結果として、試験勉強以上の時間と労力を、プロジェクトに費やしたと思います。
でも、学んだ内容は最も頭に残っているし、何より一番達成感を得ることができました。

あとは、3月の直後に①のコースのエッセイ提出とプレゼンがあり、地震のショックの中で募金活動しながら作業したのは、我ながらよく頑張ったと思います。(しかもその時期同居人が高熱を出し、そのお世話にも追われていた記憶が...)

よく、海外留学の体験談で、「一生で一番勉強した」という感想を聞きますが、約2ヶ月の試験勉強はまさにそんな感じでした。
特に私は(もう10年以上前だけど)四年制大学時代に、本当にまったく一秒も勉強らしい勉強をした記憶がないもので(汗)、まず勉強の仕方がわからなかった(苦笑)。

成績確定と同時に、申請すれば大学が Post Study Work ビザ申請に添付するレターを用意してくれます。
これをもって、学生ビザからPSWへの切り替え申請に突入です。



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2011年10月3日月曜日

成績戻って来た。〜BOPビジネス

BOPのクラスのエッセイのマークが返された。
このブログにも何度となく登場している、インドへ行ったあのプロジェクトである。
プロジェクトとは別に、2,000 words のエッセイが課され、これが全体の成績の45%のウェイトを占める。

エッセイのお題は、『自分でBOPビジネスを一つ選んで、その business model と implementation process を分析せよ』だった。

一口でエッセイと言っても、マネジメント学部の求める内容や書き方は、私の所属する地理学部のものとはまた違う。
授業でエッセイの説明があった時に、「セオリー大好き。High quality papers(マネジメント関連のジャーナル等でも特にトップクラスのもの)からの引用重視...」と念を押されてのを素直に信じ、それに従った。

まずはBOPビジネスの類いを一つ選ぶわけだが。
BOPビジネスはインドやバングラディシュが主流な他、南米の事例もいくつか授業で暑かったので、この辺はみんなやるだろうから外し、私は敢えて、日本企業で勝負することにした!

と言うと聞こえが良いのだが、クラスに他に日本人がいなかったし、先生方も日本企業のBOPなんてあまり聞いた事がないだろう(という勝手な憶測に基づき)と思い、目新しさを狙った。
と言うとまだまだ聞こえが良いのだが、何より、資料を読んだり情報収集が日本語でできる(=所要時間半減)!これは大きい(笑)。

で、選んだのは、ヤクルトと迷った挙げ句、味の素。
同社は勿論、グラミンみたいな純BOP起業ではない。
が、半世紀前からアフリカや東南アジアで実質BOPビジネスに類似する事業展開をしている。
そのビジネス展開というのは、例えば、地元の料理の味に合うスパイスや、受入れられ易いパッケージデザイン等、国や地域別の製品の研究開発をしていたり、独自の販促ルートを持っていたり...(詳細略)ということで、要は授業でやった内容と被る部分が大きかったので、例として使い易かった。

エッセイではまず、味の素の海外ビジネスの紹介をし、上記のような特徴を、実際に数カ国での販売方法など例を挙げて示し、BOPビジネスに関する学術論文から引っ張って来たセオリーやモデルを使って、味の素のビジネスモデルの利点と(わずかながら)改善の余地がある点を分析。
同じようにインプリメンテーションも分析。
お題の通り、ビジネスモデルとインプリメンテーションモデルをしっかり分けて書いた。
2,000 words は、エッセイとしてはかなり短い。特に今回のように、ビジネスを紹介しながら、理論を用いて分析なんてやっていると、すぐに2,000到達してしまう。
そこで、descriptive になりそうな箇所(特にビジネスモデルの紹介など)は、可能な限り表やチャートを用いて字数を抑えた。
味の素のウェブサイトはもちろん、決算資料や会社説明会資料、ビジネス雑誌の記事までいろいろ漁り(全て日本語。イェイ♪)、言われた通り一流マネジメントジャーナルから引用もして、なんとか収めた1,991 words。

書いている頃はちょうど東日本大震災があった最中で、心中穏やかでない上、他にも課題が集中していた時期だったので、このエッセイは正味3日で書いた。
結果はまあパス(合格ライン)は大丈夫だろうなとは思っていたが、一番の懸念は、選んだ味の素が果たして採点者にBOPビジネスと認められるのか?という点だった。
日本の事例を扱う学生は他にまずいないだろうし、元来BOPとして運営しているビジネスではないので、目新しさはあっても、もし本論からずれていると判断されたら元も子もない。
緊張しながら結果を待った。


結果は提出から4ヶ月近く経過した夏真っ盛りの頃にやって来た。
バタバタと書いた物が、なんとまさかの Distinction (優)!
LSE の課題で初めてゲットした Distinction!!

改めて、このエッセイを読み返してみると、うん、確かに良く書けている。
英語のミスが簡単にぼろぼろと見つかるものの(汗)、まあそこは大学側も目をつぶってくれているのか(あるいはこのせいで多少減点されているのか?)、読み難い文面は構成と多用した表やチャートがきちんと補ってくれている。
ビジネス自体を細かく分析できたのは、十分な資料を入手し、活用できたことが勝因だと思うので、日本語でリサーチできる日本のビジネスを選んだことが功を奏したかと思う。

あとはやはり、マネジメント学部の課題は、自分がこれまでの人生で培った経験や、もっと言うと良識に則って論じられる部分が多く、挿入できる持ちネタや論理の展開の幅が広がる。
本業(?)の環境や開発がテーマだとこうは行かない。
この程度の時間と労力の投資と心労でDistinction がもらえるのだったら、、
うーん、やはり学部間違えたか。


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2011年6月30日木曜日

ビッグベンでの宴


6月も最終週にさしかかる頃、大学のメールに、国会議事堂で開催される「LSEインターンレセプション」へのご招待のリマインダーが届いた。
すっかり忘れていたが、しばらく前にこのイベントへのご招待が届き、なんだかよくわからないが、とりあえずパーティ、しかも国会議事堂(いわゆるビッグベン)ということで、とりあえず参加の意思表明をしていたのだった。
リマインダーが届いても、未だ何のイベントなのかわからずじまいだったが、この国会議事堂での無料のパーティにとりあえず出かけてみる事にした。

ビッグベンには観光でも入った事がなかったので、入場時は少なからず緊張した。
なんとなく正装していったものの、持っていたのはご招待のメールのプリントのみで、本当にこれで入れるのか?半信半疑だったが、ガードのおっちゃんたちがいとも簡単に入れてくれた。
入口では、手荷物検査はもちろん、空港のような身体検査と、入館証発行のための写真撮影もあった。

少し遅れて招待状に書かれた部屋まで進むと、すでに40人以上が終結しており、皆片手にドリンクを持って、恐らくMP(国会議員)と思われる男性のスピーチを聞いている最中だった。
このスピーチの内容、および後々参加者から聞いた話を元に、ようやくこのレセプションの主旨を何となく察することができた。

この会は、LSE Internship という、LSEが学生に無償で職務経験を積む機会を斡旋するスキームを利用し、国会関係の仕事を体験した学生たち、その就労先の国会関係担当者、およびLSE側のサポートスタッフの労をねぎらう為の宴だったのではないかと思われる。
確かに、私も LSE Internship を利用して、インターンを行っていた。しかし、私の就業先は国会とは全く微塵も関係のない巷のベンチャー企業...。いったい何がどう間違って私のところに招待状が届いたのかは未だに薮の中である。
参加していたLSEの学生の多くは、政治関係の専攻で、実際に国会議員のオフィスでインターンをしていたようだったが、中には私のように、関係ないのになんだかわからないけど呼ばれたので来ちゃった系のも何人かいた。

当然MPたちとの話が弾むはずもないので、いつのまにかこういう場違い組で寄り集まって、お酒とツマミをいただきながら談笑...。
今思えば、どさくさにまぎれてMPとコネでも作っときゃ良かった。が、その時は飲み食いする方が楽しくて、そんな余裕なし。

振る舞われたフィンガーフード各種

デザートも美味しいんだな、これが

2時間も経つと、いつの間にか参加者も続々と退散していたが。
残っていた顔ぶれはすっかり酔っぱらっており、そのまま二次会?もとい、誰かがその友人と待ち合わせをしていたCharing Cross 近くのワインバーまで歩き、一緒に乱入した。
ここでまた何人かLSEの学生らと談笑し、何時間が経っただろうか。
久しぶりに、かなり飲んだ...。

再び Whitehall まで一人歩いて戻り、バスに乗った。
が、いつもなら40分くらいで到着する自宅まで2時間もかかってしまったのは何故だろうか...。

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2011年6月13日月曜日

試験終了



今日で全ての試験が終了した。
思えばこの一ヶ月間、本当にまったく気持ちに余裕のない日々が続いていた。
自宅にいては気が散って勉強できないので、平日は深夜12:15まで(ナイトバスの時間)大学の図書館にいて、土日も図書館ないしは Greenwich のスタバに出かけていた。

一緒に住んでいても、起きている時間にほとんど顔を合わせる事のないパートナー...。
彼はあからさまに不満を漏らすことはなかったが、家にいてもいつも本ばかり眺めている私に苛立っていたに違いない。
これがいわゆる俗にいう「すれ違い離婚」とかに繋がる種かと思ったものだ。

試験は全部で3科目あった。
多い人は5科目受けていたりしたので、少ない方なのだが(試験がない科目を選んだので)。

うち、環境系の2科目(Sustainability と Environmental Regulations)はフルユニット(通年授業)で、カバレッジも広く、特に前期でやった部分を復習するのには苦労した。
Sustainability については、試験のひと月前くらいから、コースの連中5名程と study group を組み、週2のペースで復習の会を開いていた。ともすれば雑談に陥りがちな会合だったが、結果的にポイントを押さえたり、回答に使えそうなアイディアを得る上でこれはまあまあ役立った。他の学生の進捗具合もわかったりして。
Environmental Regulations は完全に独学での復習となった。基本的に、この科目にあまりおもしろさを覚えなかったので、勉強はひたすら『誰が何を言った』を記憶することに徹し、関連する過去の事例を付け加えて無難に回答する方針で挑んだ。

もう一つは、Population and Development という半期のみの授業。履修から半年近く経過し、内容はほぼ忘却の彼方に... しかし、試験直前に教授が『ここが出るぞ』的な復習講座をやってくれたので、終わってみれば割合楽々クリアできた。ただ、勝算があったが故、確実に得点したかったので、直前には復習にかなりの時間を裂いた。

試験は、フルユニットの2科目は3時間で3問、ハーフの科目は2時間で2問の論述式。
ほとんどが、『○○について批判的に論ぜよ』的な、どうとでも回答できそうな抽象的な問題。
とにかく、時間いっぱいひたすら書き続けなくてはならないので手が疲れる。
模擬試験や過去問もやってみたが、簡単に指にタコができた。
いざ本番の試験となると、そんなことは気にせず、何でもかんでもとにかく書きまくる(特に回答にさほど自信を持てない場合は、少しでも関連がありそうな点は挙げまくるしかない)。
終わった後は本当にぐったりである。

全科目、50点以上で pass(可)、60点以上で merit(良)、70点を超えるとdistinction(優)というグレード。数字だけ見ると、60点くらい余裕じゃん、と思われがちだが、これが結構余裕ではない。個人の向き不向きもあるのだろうが、私は社会科学の『正しい答えがない』論述が苦手で、どちらかに偏った議論になりがちなので、その点をマイナスされるのか、過去に書いたエッセイは全て60点に乗るすれすれライン。試験では、エッセイと違い、議論を裏付ける証拠や文献を新たに調べる手だてがないので、尚更低得点。模試では基本いつもpassだった。

環境系の試験は75%、Population のコースは100%、試験の成績だけでグレードが決まる。
最終的に50点を超えていれば卒業はできるが、50点台での卒業と60点台での卒業では見栄えが全然違うので、各科目総合60点は取っておきたいところ。
模試の成績からするに...う〜ん。
しかし、問題は毎回違うからポジティブサプライズに期待し、秋に出る結果を待つ。


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2011年5月5日木曜日

Project Presentation

パイナップルの美味しい季節になった。

5/5 日本ではGW真っただ中の頃。
例の、インドへ実地調査へ出かけたBOPプロジェクトの発表会があった。
このコースでは、我々の他にも、全部で6つくらいのプロジェクトがあり、各チーム8~12人構成で取り組んでいた。
我々はインドだったが、他チームは、南米やアフリカへリサーチに出かけたりで、どこもそれなりに大変だった様子。
発表のプレゼンは前々日から作成をし、本番当日の朝に時間を測ってリハをして、なんとかまあ無事に終了した。

同じチームに、元コーポレートファイナンス勤務、ソーシャルポリシー専攻、フリーランスのアーティストなど、いろいろな経歴の持ち主がいたので、財務分析、インパクト査定、外渉と、自然と役割分担ができたのは良かった。私はビジネスモデルにおける問題点を中心に発表した。

それにしても、インドから生還後、ここに至るまでに、もうすでに結構な collective action problems を体感している。
要は、8人もいるので、皆が自分に仕事がまわらないようにまわらないようにしており、それが仕事の進行の妨げとなっている。
かく言う私も、もうインド行ったからいいじゃん... 、と、最終レポート作成にはどちらかというと消極的であるが。でも、実地調査の findings もまとめて、レポートで使いやすいような表にもしたし、文章書くのは他のメンバーが担当してくれよ、というのが本音である。

最終レポートの提出は、3週間後。結構な情報を持っている&課題が課題なだけに(ビジネスモデルの分析と社会的インパクトアセスメントの査定モデルの提供)、word count 制限2,000語で完成させるってのがこれまた困難だ。
今月は試験勉強もしなくてはならないし、皆で寄り集まってレポートを作成する時間もない。
いかにフリーライダーを予防し、皆に仕事をさせながら(一人でやったほうがラクじゃんと思う瞬間が多いのも本当だが)進めるかが鍵である。
別に私がリーダーではないけど、人種も背景も違う連中をまとめるのは難しいよまったく。

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2011年4月20日水曜日

インド旅行記 最終編


乾期にこれだけ緑色になる田園風景は珍しいのだとか。
ブバネシュワでの一日。
ホテルで朝食を摂った後(初日にも食べたオムレツをまた食べた)、病院を運営する団体のブバネシュワのオフィス(初日に登場したM氏の勤務先)を訪れ、会議室を借りて、病院での実地調査の資料をまとめる作業をした。
昼前にイギリス人のコーディネーターがチェンナイへと帰って行った。
オフィスでランチも用意してくれたが、カレーピラフにモロにカシューが入っていたので、バナナだけ食べて飢えをしのいだ。
結局フィンランド人と2人、夕方までそこで資料作りに明け暮れ、5時になったら車でホテルまで送ってもらった。
病院のある田舎にいたからか、ブバネシュワは本当に大都会に感じる。これでも、インドの都市の中では小規模な方なのだろうが。住宅街を見るのが久しぶりだった上、広い舗装された道路も新鮮だった。
ホテルに戻ると、すぐ傍のインターネットカフェに出かけた。
接続は相当遅いものの、病院のネットよりマシだった。まとめた資料をロンドンに送り、久しぶりに日本とロンドンの家族にもまともなメールを送る事ができた。
2人になった今夜もやはり、女同士ホテルのバーに出かけてビールを飲んだ。
インド最後の夜だけあって、この怒濤の一週間を振り返って、今となっては笑い話どころか、夢だったような、あの田舎の病院での出来事を語っては爆笑した。
最後の晩餐は、初日に恐る恐るローストチキンを食べたレストランへ行き、今度はカレーを頼んだ。
翌朝はまた車のお迎えを受け、空港へ。
来る時はデリー経由だったが、ブバネシュワから、今度はムンバイで乗り換えてロンドンへ。
このムンバイの空港がくせ者だった。まず、ブバネシュワから到着する国内線と、ロンドンへ向かう国際線のターミナルが離れているため、バスに乗るのに30分くらい待たなくてはならなかった。
さらに、国際線ターミナルに到着したはいいが、フライトの3時間前まで建物の中に入れてもらえない。
乗り換え8時間もあるんですが、路頭に迷えってことですか?!
近くのハイアットへ行って休んでたら?と案内係のインド人に言われるも、そんなのに金が出せるか早く中へ入れろこの〜(怒
お金ももうほとんど持っていなかったので、とりあえず落ち着く為にそこらの売店でサモサとコーヒーをフィンランド人に奢ってもらい、路上で食べる...。目の前を排気ガスぶんぶんの車列と、軍人の集団が過ぎて行く...。まったく、搭乗券も手元にあるのになんでこんな目に遭わなきゃならんのよ(泣)。
いざ時間になったら、とっとと出国審査を済ませて、中のバーに座り直し、またビール飲んだ。
しかし、、デリーの空港がかなりきれいで広くて立派だったので、ムンバイにも期待していたが、規模も施設も店舗も雲泥の差。ムンバイはヒースローのターミナル3と同じくらいいけてな(略)。帰りがデリーだったら、終わり良ければなんとかって、気持ちよく帰国の途につけたであろうに。
何はともあれ、こうして一週間強のインドの旅は無事終焉を迎えた。
ただし、お腹は帰国後も約一週間、壊れたままだった。
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2011年4月19日火曜日

インド旅行記 ⑥






Vision Centre 前の通り。
今日はいよいよ、5日間寝泊まりした病院を離れ、最初に飛行機で降り立ったブバネシュワに戻る。
午前中は、この病院が昨年近隣の町(といっても車で2時間)にオープンした、Vision Centre を見学した。Vision Centre というのは、いわゆる出張所みたいなもので、術後の患者のアフターケアをしたり、新規の白内障疑惑の患者を診察して本部の病院に照会したり、単に視力の弱い患者にはその場で眼鏡を処方して販売したりしている。
今は週一日のみの運営で、本体の病院から医師を派遣しているが、ゆくゆく毎日開院する方向らしい。
2時間くらい滞在した後、近隣に済む術後患者のお家をお邪魔し、インタビューした。
ここでも、甘ったるい紅茶が振る舞われたが、ごめんなさい、飲めなかった。
インド人の、あるいはこの地方の皆さんの、おもてなしには本当に頭が下がる。
道中、川が流れていた。
ランチは、病院2日目にもお邪魔した、ハンセン病の療養施設でまたいただいた。

もうすっかり慣れたインド式ランチ。右上、オクラ美味。
生野菜以外は全部食べた。あとバナナ。
食後はしばらくまったりと、今日は一人で引率してくれた病院幹部と話をした。
彼は、病院のトップだが、何日も密着していたせいもあってか、相当ぶっちゃけて色々な内輪ネタを披露してくれた。こんなこと聞いちゃっていいの?的な事まで.. (後でこっそりメモ)
一見、平和そうで、温和にまわっているような職場でも、やはり色々あるのはどこも同じだ。
トップならではの辛い立場もあったりして。
何日も寝泊まりして、ここまで組織を知ると、情も移るもの。我々はロンドンに戻ってレポート書いて終わりだが、この病院はこの先もここでこうして運営が続くわけで... 。それを多分この先見る事はないんだな、と思うと、なんか寂しい。
病院への帰り道、猛暑の緩和策に、ラッシーの飲めるお店に立ち寄ってくれた。
入った店はなんてことはない、お菓子やつまみを売っている売店だった。果たしてどこからラッシーが出てくるのかと思いきや、カウンターの奥にあるミキサーでその場で作ってくれた。
ラッシーは知っていたけど、実は生で見るのも飲むのも初めてだった。ヨーグルトが効いて、想像以上の美味しさ♡
ラッシーにカシューナッツが入っているとは!訊いて良かった。私のだけ、上に乗せるカシューを外してもらった。

ラッシー美味。上に乗っているのは何だ?ドライフルーツみたいなの。

病院に戻って、荷物をまとめ、ブバネシュワへ出発。来る時は車で7時間かかって到着したが、帰りは電車。
病院から最寄り駅まで車で1時間半くらいかかる道のりを、今日一日引率してくれた幹部が送ってくれた。
しかも道中、病院にほど近い彼の自宅へ招待してくれ、お茶とお菓子をご馳走になった。
例によって甘ったるいが、なんかもうこの人のホスピタリティに感動して、食べて飲んだ。
日没と共に電車に乗った。ブバネシュワまで5時間。満席の電車で眠る。
初日に泊ったホテルに再び舞い戻ったのは夜10時半過ぎ。私とフィンランド人とイギリス人、皆相当疲れていたが、閉店前ギリギリに駆け込み、ホテルのバーでビールで乾杯した。
冷房キンキンのホテルの館内と、きれいなレストランに清潔なシャワー。部屋ではテレビも映る。
やっと、文明社会に帰って来た!という実感が湧くと共に、病院での5日間がすでに夢のようだった。
数少ない英語放送の、Bloomberg TV を見ながら寝た。日本の震災について報道されていた。

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2011年4月17日日曜日

インド旅行記 ⑤



病院の食堂で朝食を摂る入院患者たち。
病院4日目。
午前から、フィンランド人と、現地コーディネーターのイギリス人が、2人で術後患者のご自宅訪問インタビューに出かけると言った。
私としては、炎天下の外出よりは室内にいられる方が有り難かったので、病院に残り、入院患者のインタビューをすることにした。(病院も冷房ないけど、外よりマシ)
患者はほとんど60を過ぎた年配の方ばかり。本当に、栄養不足で白内障を発症するわりには、年をとっても足腰しっかりして元気な人が多い。
経理の男性職員が通訳でついてくれたが、私が英語で質問するのを訳する時、患者の現地語を英語に訳す時、明らかに訳にバイアスがかかっているのが空気から伝わってくる。
まあ仕方ない。『内部の人間による通訳』を、リサーチの limitation としてレポートに記述する。
昼前にはこの作業が終了。財務担当の職員にP/Lの細かい点を質問していたが、まだ外回り組みが帰ってくる様子がない。
PCを使って資料をまとめようかな、と言うと、ノートパソコンを貸してくれた。かなり遅いけど、インターネットも使えるように、何て言うの、あのUSBの穴に差し込む式のネット接続ツールも貸してくれた。さらに空室を一室あてがってもらい、私だけの為に巨大扇風機もまわしてくれ、一人オフィスができあがった感。しばし、VIP待遇に酔う。
少々遅いランチの後は、入院患者らも帰ってしまったし、スタッフインタビューも済んだので、病院内で事務作業をして過ごすことにした。
それにしても暑いので、インドの国民ドリンク(?)なのか、みんな飲んでいるスプライトを飲む。普段、こういう甘い炭酸は滅多に飲まないが(コーラゼロは例外)、郷に入ればナントカっていうか、インドの地で飲むと、なんだか妙に美味しく感じる。

病院の裏、泊った部屋のバルコニーから。
午後まとめた情報を元に、即席プレゼンを作成し、夕方病院のトップとシェアした。
こういうちょっとしんどい作業を、フィンランド人が全部やってくれるので助かる。
暑さのせいでぐだぐだと昼寝(夕寝?)した後、陽が暮れるとまた屋上へ。
昨晩同様、真っ暗な中で、病院幹部と一緒に飲んだ。
ビールのおつまみとして出される、顔くらいの大きさのエビせんみたいなのが、たまらなく美味しい。ビールのために作られたんじゃないかと思うくらい。(実際そうなのか?)

今日は酒の席で、国の歌を歌ってとリクエストがあった。
フィンランド人が、なんかフォークみたいなのを歌った。私が好きなロシアのフォークにちょっと似ている。
インド人は、いかにもインドな、踊るマハラジャでかかってそうなふにゃふにゃした歌を歌った。
日本人の私は、この流れだとJ-POPより演歌か... と判断し、八代亜紀と迷った挙げ句、石川さゆりを歌った。『天城越え』は、アカペラではちょっとキツそうだったので、『津軽海峡冬景色』を歌った。これが、思いの外好評で、これは演歌で...と説明したところ、J-POPのリクエストがあったので、モー娘。の『青空がいつまでも続くような未来であれ』を歌った(マイナ〜 :p)。
ここまで来ると、もう食べ物のどうこうはあまり気にならなくなっていた。
3日目以来、怒濤の勢いでお腹を壊しまくっていたが、もう食べてしまっているから今更どうしようもない。どうせ壊すなら食べて壊してやる、みたいな。
生野菜とコップの水は避けているものの、コップのビールには抵抗できず、飲む。アルコール殺菌作用に期待しつつ...。
これが病院で最後の夜だった。楽しい宴だった。
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2011年4月15日金曜日

インド旅行記 ④


病院3日目は、病院内でスタッフのインタビューに専念した。
目的は、この病院の経営モデルのコンサル資料収集。インタビューの質問は全て open end questions (答えがイエス、ノーだけで終わらないようにデザインされた質問)で、現状の病院運営、患者サービス、および今後の個人のキャリアプラン等について、とにかくスタッフに語らせることが大事。
個人情報が絡む事、正直な答えが欲しいため、通訳は使えない。よって、英語を話すスタッフのみに限定されてしまうため、この辺りが本プロジェクトのデータ収集における大きな制約となってしまうが、まあ仕方ない。
外は連日40℃オーバーと思われる暑さなので、院内にいられて逆に助かった。冷房こそないが、扇風機をまわしてくれる。
病院での我々はかなりの好待遇でもてなされていた。寝室や食事を無料提供してもらっているのはもちろん、時折コーヒー(甘いので飲めないけど)を差し入れしてくれたり、作業がしたいと一言申し出ると、ノートパソコンを貸してくれたり、また自分だけのために扇風機をまわしてくれたりもした。扇風機と言っても、日本にあるようなコンパクトなものではなく、小型の冷蔵庫くらいの大きさの、かなり燃費の悪そうなものである。最初はその埃をかぶった扇風機から出てくる風を信用できず、暑いのを我慢して風を避けていたが、3日目にもなるともうどうでも良くなってきた。
おまけに、飲酒が(まして女性の)一般的ではないこの地域で、我々には毎晩冷たいビールとおつまみが振る舞われた。
食事も同様。次第に我々の好みを考慮してくれるようになったようで、もはや手を付けないものは生野菜のみになっていた。
グラスは相変わらず信用できず、ミネラルウォーターは大きなボトルから(ロンドンから持って来た)小さいマイボトルに入れ替えて飲んだ。また、食事は先に食卓に皿が並べられ、一品ずつ調理担当のスタッフが盛りに来てくれるのだが、時折濡れている皿は、こっそり一人テーブルの下でナプキンで拭いた。
また、一緒にやって来た西洋人が郷に従い手で食事を摂る中、私一人最後までスプーンとフォークを手放せなかった。


これは朝食で出たサモサ。前日夜のおやつに出て、美味しさに感動をアピールしたら、朝も登場。
気を遣っていたつもりだったが、この日から、例に倣いやってきた。お腹がおかしくなった。
噂通り、予想はしていたものの、こんなにお約束通りにやってくるとは。
決して胃腸は弱い方ではない。水も気を遣い生野菜も避けているのに、私一人真っ先に当たった。
今思えば、スプーンとフォークを放棄し手で食べたほうが清潔だっただろうか。あと、暑さに負けて出されたスプライトをグラスから飲んでしまった。でも一度だけ。
食事を楽しみ始めただけに、ここでお腹に見舞われるのは痛かった。外出がなかったのがせめてもの救い。
この日は午後、大事件があった。
前述の通り、ここにはシャワーがなく、水道の蛇口からバケツに水を溜めて水浴びをする方式のため、トイレと洗面台の脇に大きめのバケツと柄杓が置かれていた。もっとも私はそれらも使わず、大きなペットボトルに水を為、頭からかぶっていたのだが。
そのバケツが位置的にちょっと邪魔だったので、トイレに入る際に手で持って動かした。それが惨劇の始まりだったのだろうか。
お腹をこわしているので、20分後、再びトイレのドアを開けると、そこにあったのは...
ありまみれで真っ黒になったバケツと柄杓!!
ぎゃあああああ、今思い出すのもうげー無理無理無理ムリむりーーー!!!
20分前とは変わり果てた姿になったバケツに、もうわけがわからずただ絶叫。
驚いて飛んで来た同部屋のフィンランド人も絶句。
逃げ惑う私の姿を見て、さすがにどうしようもないと思ったのか、全て彼女が始末してくれた。
彼女は以前にブラジルで7ヶ月間滞在し、その間ハンモック生活をしていたらしく、虫には慣れていると言っていたけど... いやそれにしたってねぇ。本当にもう頭上がりません。
ショックからの立ち直りにしばし時間を要した。
陽も暮れる頃、病院主催の "cultural programme" を見学ということで、病院スタッフ数人と共に車で出かけた。
来る時は気づかなかったが、車で5〜10分は知った所に、割と大規模な村(というより町)があった。そこを通過しさらに15分程走った集落で下車。
もう陽もどっぷりと暮れて暗闇の中、路上に人々、犬、そして牛が溢れかえっている。
照明が煌煌と照らされたそこには、プロレスのリングのようなイベント会場が出来ていて、地元の人たちが集まっている。一体どこにこれだけの人数が暮らしているのか、ざっと500人以上はいるかと思われる。さすがインド。

一番前に用意されたVIP席(?)に通され、着席するなり、群衆が一斉に我々の写真を撮り始めた。外国人が珍しいのか...。ちょっと気持ちいい。
始まったのはプロレスではなく、この地方の民族音楽&歌のショウ。
出演者の男性4人は、皆太鼓を持っているが、これとは別にバックに弦楽器ののっぺりした音楽がかかり、、リビアの車内でさんざん聞かされたコーランのラジオ放送みたいなのを思い出した。

現地語がわからないので、その場はただ聞き流していたが、後から聞いた話だと、この歌の歌詞は、『白内障は怖いです。予防の為にも、病院主催のアウトリーチキャンプに行きましょう』的な宣伝になっているらしい。すごい、凝ってる!
一時間ほどの演目を鑑賞。帰りもまた、我々は盛大な見送りを受けた。
見知らぬ地元民が、車に乗った我々全員にジュースをくれた。
しかし、見るからに身体に悪そうな原色オレンジの液体で、ストローもささっていないので、申し訳ないがパス。私の分はフィンランド人にあげた。
ここまでくると、こうしたおもてなしを悉く受入れられないことが非常に申し訳ない。
発車間際まで、車は四方八方、カメラを持った地元民たちに囲まれ、なんだかわからないが声をかけられまくっていた。まるで芸能人になった気分。ちょっと気持ちいい。
帰り道、同行した病院スタッフの奥さんの誕生日プレゼントを買うのに付き合い、サリー(インドの民族衣装)の店に立ち寄った。
基本、店中に積まれた生地の中から好きなデザインを選び、採寸して、オーダーメイド。
2日くらいで出来るから、と勧められたが、これと言って気に入った生地がなかったのでパス。
値段はデザインや素材によってまちまちで、安いものは1,000円くらい、高いのだと4,000円くらいしたと記憶している。
病院に戻るともう10時をまわっていた。
皆疲れていたので、このまま就寝かと思いきや、屋上に通された。
テーブルがセットされていて、間もなくビールとおつまみが出てきた。
病院幹部と、LSEの学生。照明もない屋上で、星空の下、飲み会が始まった。

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