2012年3月15日木曜日

転機 〜 理想の仕事が突然舞い込んで来た。


B社に勤めて約4ヶ月。第一印象こそ良くなかったものの、人間関係もうまくかわせば問題ないし、責任ある仕事もたまに手がけたり、賃上げ交渉にも成功し、それなりによろしくやっていた。Canary Wharf へ転職したいしたいと言いつつも、LSE 時代と比べれば血眼になって求職活動をしていたわけでもない。まだ学生ビザがPSW(Post-Study-Work visa。2年間英国で就労可能なビザ)に切り替わっていなかったので、就労ビザが下りるまでは勝算はさらに少ないと思っていたから。

2011年末に申請したPSWビザは、1月中旬に届いた。よし、ではそろそろ理想の職探しでも始めるか、と思った矢先だった。

機会は向こうからやって来た。 1月も下旬に差し掛かったある木曜日、マイクロマネジングな契約書の就労契約に反し、勤務中にFacebookをチェックしていると、かつて勤めていた会社のイギリスのオフィスにいた同僚で、現在はCanary WharfのQ社でお偉くなっているXからメッセージが届いた。Xは私よりも先に前職を退き、Canary Wharf の会社に転職した。Xと私は仕事上、直接絡みはなかったが、前職在職中の2009年に私が渡英した際、同じく当時のイギリスの同僚Gと飲む約束をしたところ、既に転職していたが近所のビルに勤めていたXをGが誘い、3人で飲んだ。その後、私がLSEにやって来た際に、Xにも「ロンドンに来たよ」と一本メールを送っておいた。彼も忙しいようで、その後1年、ほとんどやり取りはなかったので、この日届いたのは実に久しぶりの、突然のメッセージだった。

メッセージには、「日本人の友だちで仕事を探している人はいないか?いたらこちらのメールまで連絡を入れて欲しい。(Xの会社のメアド)」とあった。

...。

3回くらい読み直しただろうか。その1分後には、「日本人必要なら、ここに私いますけど?」とXにメールを送っていた。

間もなくXから返信があった。 実は日本語スピーカーのポジションがあり、人を捜しているとのことだった。私はまだ学生をやっていると思っていたらしく、誰か知らない?的な連絡をしてきたらしい。ジョブスペックが添付されていた。読んでもし興味があったら連絡して欲しい、CVも一緒に、とあった。

さすがの私も、そのジョブスペックを会社で広げることはしなかった。帰宅後、スペックを見ながら同時にCVを作成した。仕事内容は特に気になる点もないし、正直それはさして重要ではなかった。Canary Wharf で就職できるなら、営業以外何の仕事でも構わなかったし。日付が変わるまで黙々とCVを作成し、夜中の2時くらいに送付。翌朝Xから返信があり、その翌日に一杯やりながらポジションについて話し合った。

私の経歴はこの仕事には申し分ない、と正直自分でも思った。一応、正式に来社して面接を行う必要があるということで、Xと会ったに翌日に人事から電話を受けアポを取り、その3日後の朝一番にQ社に赴いてXとその同僚の2人と面接をした。この時点で、今回募集をしているポジションには日本語が必要ないということがわかった。そのため、私のセールスポイントから日本語という最大の武器が失われてしまった。それでも、自分の実績がこのポジションには多大な価値があるという自信はあった。同時に、言い換えれば自分はオーバースペックであるという不安も若干あった。

パスポートと取れたばかりのPSWを人事がコピーを取って持っていった。面接を終えB社に出社すると間もなく、Q社の人事から次の最終面接の案内があった。アメリカとの電話面接が3日後に設定された。

数ヶ月前にC社を受けた際は(前の記事参照)、アメリカとの最終面接はものの15分足らずで終了したので、今回は若干気楽に構えていた。が、蓋を明ければなかなか密度が濃くしっかりとした面接だった。向こうは早口のアメリカ人が3人も出て来て、代わる代わる1時間、びっちり質問攻めの面接だった。しかも、「こんな場面に遭遇したことは?その時どう対処した?」というような、典型的な就職面接の質問が多かった。まあ、それらしい回答はちゃんと用意していて、テーブルの上に紙を広げて喋っていたので、困りはしなかったけど。何が参ったって、アメリカ人の英語が早すぎて、半分くらいの質問は内容を推察しながら答えていた。言い直して下さいと頼んだ質問も3つくらいあった。これはもう仕方ない。ネイティブじゃないし、許してにゃん。

結果は2週間以内に、と言われたが、翌日には人事から電話がかかってきて、口頭で仕事のオファーがあった。こう急速に話が進んだのには実は訳があり、最初にXとパブで会って仕事内容を聞いた際に、「3週間後から日本へ行く」と伝えてあったのだった。だから、首尾良く行けば出発前にオファーを出せるスケジュールで全てが進められていたのだ。一般枠で応募していたら、こんな融通が利く事はなかなかないのではないか。事実、Xから話があるまで、このポジションを募集していることすら、まったく認識していなかった。

人事から電話でオファーがあってから3日後、雇用契約書類が自宅に届いた。すぐにサインして返送したが、まだまだ乗り越えなければならない関門があった。一つ目にして最大の難関が Reference。会社によっては、Reference(推薦人、保証人みたいな感じ?)を2人用意して、その人たちのコンタクト情報を提供せよみたいなところもあるが(B社がそうだった)、今回はこれまでにない形式だった。まず、私が過去5年間の勤務履歴と、働いていない期間は何をしていたのか、時間の空白が空かないように細かく情報を提供する。すると、Q社と契約している外部ベンダーが、それらの勤務先を一個一個当たって裏を取る。こんな仕事があるとは、初めて知った。ともかく、私は過去5年間の経歴(ロンドンでのインターン含む)と学歴を提出した。この外部ベンダー、HPを見ると、「グローバルオフィスで世界各地の employment verification に対応」とかなんとか書いてあったが、日本を担当しているのはインドのオフィスの様子。私の日本での勤務先は、曲がりなりにも外資系企業だったので、人事の人も多少なりとも英語は話せるわけだが、ドメドメの日本の会社なんかの場合、一体コミュニケーションが取れるのだろうか...。事実、私の勤務履歴の確認を担当したインド人から、提出した過去の勤務先や学歴の半分くらいについて、「XX社(および△△大学)コンタクトが取れないから担当者の連絡先を教えろ」的な依頼のメールが届いた。調査が始まる前に提出しているだろうがボケ。しまいには私が過去の勤務先に在職証明を出してもらい、それを転送したり、大学の卒業証明/成績証明を転送したりして、ようやくおとなしくなる始末。これって、サードパーティによる確認作業の意味あるのか?最初っからそういった書面を提出しときゃ済む話では...?

この一連の過去の経歴調査が終了するまで入社日が決定できないと言われ、気が気ではなかった。当然、B社への退職届の提出も遅くなる。結局、経歴調査開始から一週間程度経過し、インドの担当者から追加情報依頼が届く最中、Q社の人事から連絡があり、「もう入社日を決定するに十分な確認が取れたのでOK」と言われ、ようやくB社に辞表を出すに至った。

入社日が決定してからも、実際第一日目に出社するまでは気が気ではなかった。なにしろ私はこの国では外国人だし、永住権もなく、労働許可も期限付き。いつ内定を取り消されるかという不安が常にあった。契約書にサインしてあっても、入社日が決定し、給与振り込み口座を連絡しても、B社に辞表を出してからQ社で初日を迎えるまでは、毎日メールをチェックし、「内定取り消し」のメールが届いていないことを確認しては安堵する日々を送っていた。

雇用契約にサインしてから約一ヶ月後、ようやくQ社への初出社日を無事に迎えることができた。15年間憧れていた Canary Wharf に、初めて「通勤」のために降り立った朝は、ようやく成し遂げた偉業(自分としてはかなり)の実感が湧かず、妙に冷静だった。同時に、これまで過度の期待をして内定取り消しになったら困るという警戒心から、心底嬉しい気持ちを抑制していたため、喜びを爆発させたい気持ちと、いよいよこの時が来たとこれまでの道のりを回想し感慨深い思いと、いろいろな感情が入り交じって、結果どうしてとても平静だった。

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