2011年12月30日金曜日

クリスマスの惨事(イギリス病院事情)

クリスマスの晩に、自宅でフィッシュアンドチップスを調理していて、惨事に見舞われた。

そもそも、クリスマスに魚と芋を揚げる事自体どうなの?という声も聞こえるが、こともあろうに、フライパン上で魚をひっくりかえそうとしたところ、揚げ油がはね上がり顔面に直撃。

熱い、とは感じないが、恐怖と絶望感でパニックに陥ってしまった。水道の蛇口の下に頭を突っ込んで、ひたすら流水を浴びていた。

一時間ほどして、やっぱり病院へ行こうと決意。
口のまわりから左の頬にかけて真っ赤になっている。このままシミが残ったらたまったもんじゃない。

しかし、今日はクリスマス。
随分前から国中で大々的に騒がれていた通り、公共の交通機関は全部ストップ。
タクシー会社に電話してみるも、人員配置が薄く、45分待ち。
おまけにうちの住所がデータベースに登録されていないとかで、家の前まで来てくれないという。。
融通とか臨機応変という概念はこの国には存在しないのか。
まったく考えられないまどろっこしさ。
それでも仕方なく待っていると、結局配車ができないのか、他のタクシー会社にたらいまわしにされる始末。
バスで10分くらいの最寄の救急病院がこれほど遠く感じられるとは。

そうこうしている間にも、顔はどんどん赤くヒリヒリしていく。痛みはないが、精神的な不安のほうが大きくのしかかり、1分1秒過ぎるほど、だんだん傷が深くなっていくような気がしてくる。

これはもう救急車?しかし救急車呼んだらお金かかるのか?
10万くらい請求されたらどうしよう??!
考えあぐね、もしかして...とマンションのコンシェルジェに聞いてみると、『3分でやってくる』タクシー会社の番号をくれた。
電話をすると、本当にものの5分くらいでやってきた。
いったいこのタクシー会社はこのマンションの専属なのか...? さっきまでの45分待ちはなんだったの??

ともかく無事にタクシーに乗り、10分くらいでNHSの救急病院へ。
救急、と言っても、以前一度来た時には1時間くらい待たされたので、今回もその覚悟だった。
が、意外にも、前回の人だかりが嘘のように、この日の救急ロビーはガラガラ。2〜3組しか待っていない。
クリスマスの夜に大暴れして怪我や病気で運ばれる輩はさすがにいないのか...。

受付後、間もなく呼ばれ、応急処置として患部にワセリンを塗りたくられる。
その後、医師の診察。『あらあら...』という感じの女性医師。
患部を触って、感覚があることを確認すると、とりあえず清潔にして、ワセリンを塗って保湿を忘れずにという指示。あとは勝手に治るということ。
やけどなんかしたことがないのでわからないが、こんなに放置プレイでいいのか?
薬とか出ないの??

一応、医師に観てもらい、ともかく顔は原型を留めそうということは安心材料になったものの、帰宅して、またその次の日の朝、鏡を見ると、患部は『本当に元に戻るのだろうか...』というような状態。
日本の病院だったら、もっといろいろ処置をして、薬も出るんじゃないか?
NHSの病院の対応が(日本と比べ)かなりあっさりしていることは知っていたので、不安が残る。

口コミで教えてもらったシティの日系の病院に行ってみることにした。

ここでもあまりにむごい外傷に若干引かれながらも、NHSの簡単な診察とは異なり、一応診察台に寝て患部の洗浄と保護が施され、患部を覆う保湿テープとガーゼが向こう一週間分出された。
やはり日本の病院、手厚いな… と思いながら、さらに気持ちもラクになった。

そもそもは旅行保険をもっている日本人向けの病院なので、旅行保険のない私はまるまる実費。
200ポンド以上の会計に一瞬愕然としたが、まあ安心料と思って、寒い財布と共に帰宅した。

それにしても、あの魚一尾がこんなにも高くつくとは。
でも良いこともあった。
この日を境に、自分の顔とか美容とか、外見面の美醜と改めて向き合うようになった。
イギリスに来てから、化粧品やファッションにつぎ込むお金も気力も半減どころか90%減していたので、良い刺激になったかも。

こちらが諸悪の根源のフィッシュ&チップス。結局、救急病院から帰ってきた食べた。

日系の病院で浮いた皮を剥いだおかげで外傷はだいぶ薄らいで、いくつか残る深いしみみたいなのも、そのうち消えていくんだろうなと思えるほどまで回復した。
このまま順調に消えて行ってくれますよーに。



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2011年12月16日金曜日

LSE 卒業式




12月15日にLSEの卒業式がありました。

外国の大学の卒業式と言えば、ガウンを着て帽子を被って... というイメージが先行しますが、本当にガウンを着て帽子を被るのには少々ビックリしました。
映画の中の世界だと思っていたもので。

あのガウンや帽子は、自分で買う事もできるようですが、ほとんどの学生はレンタルします。
実は私は、レンタル代がもったいない(いくらかかるのか実際ちゃんと調べていなかったのですが、勝手に100ポンド以上すると思い込んでいた)ので、前日までガウンは着ないで普通のフォーマル服で参加する予定でした。
が、卒業式の前日に卒業証書を受け取りに大学へ出向いたところ、別の学部の卒業式が行われており、見ると卒業生は一人の例外もなく全員ガウンを着ている!!

これは...一人だけ着ないで参加するのは、場違いというかむしろ哀れ...

でもガウンのオンライン予約は終わってしまったし、どうしたものか...

と、ふとガウン貸し出しカウンターを眺めると、期待通り "Last Minute Hire" の文字が。
当日申し込みで55ポンドで借りられることがわかり、ほっと一安心。
ちなみに事前に予約をすると49ポンドだったそう。

これが55ポンドのLSEガウン

LSEの卒業式は、Presentation Ceremony と呼ばれ、大学内にあるシアター(普段は劇など一般向けの演目が上演されている)で行われます。
日本風に簡単に言うと、いくつかの学部が合同で行う卒業証書授与式。
この日も、シアターは朝、昼、夕方と入れ替え制で卒業式が3回行われていた様子。
我々地理環境学部は、国際開発学部、ジェンダー研究所などと一緒の開催でした。

出席した生徒は全員壇上で名前を呼ばれ、大学の偉い人(誰だったか...)と握手をするので、20秒くらいはステージの上で脚光を浴びることができます。
さらにDistinction(優)の成績を修めた学生は、わざわざ名前と一緒に "with distinction" と添えられていました。
うちのコースは45人程度の学生のうちだいたい半分強くらいが参加していただろうか。
ヨーロッパの学生はわざわざ家族を連れて飛んできている人が多かった。
一方、アジアやアメリカはわざわざ式のためだけに戻って来る人はあまり見られなかった。


式の後にはレセプションがあり、ワインやおつまみが振る舞われました。
教授陣もうろうろしていたようだけど、あいにく私は疲れきって早々に切り上げてしまったため、どこに誰がいたのか把握できず...

LSEが終わってからも、ずっとロンドンに、LSEにすぐ行ける所にいて、しかも週に一回はLSEのスペイン語クラスに通っているため、「ああ戻ってきた!」的な感動が薄かったというか、またいつでも戻って来られる感が強くて、さほど後ろ髪引かれる気持ちがなかったのはこのためでしょうか...

しかし、学生生活が終わってしまったんだな、という実感は一気に湧いてきました。
なんだか寂しい。
もっとも、またあの勉強の日々に戻れと言われても困ってしまうけど。もしその時は、次はちゃんと真剣に考えて学部学科を選びます(苦笑)。

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2011年12月9日金曜日

Coldplay at O2


仕事の後、Waterloo から 188のバスに揺られ、終点のNorth Greenwichまで一時間強、爆睡...。


O2アリーナで Coldplay のライブに参戦。

洋楽に疎い私ですが、Coldplay は知ってますよ。
シドニーに住んでいた時分、スペイン語学校に通っていたのだが、
その教室の外でいつもバスキング(路上で演奏)している輩がいて、
その人のレパートリーに Coldplay のヒット曲が入っていたから。

だから Coldplay を聴くとオーストラリア(とそこでやっていた塵みたいな仕事)を思い出すのです。

初めてのO2。外から見ても相当大きいが、中に入ってもやっぱりデカイ。
私はあのドーム上の中全体が東京ドームみたいにスタジアムちっくになっていると思っていたら、
アリーナは真ん中の部分だけで、まわりを多数のレストランが取り囲む構成。
開演を控えどこも長蛇の列が出来ていたので、一番空いていそうな店を選んで
我々も小腹を満たしてライブに備えた。

たいして美味しくもまずくもないメキシカンの一皿。

トイレ対策にビールは軽く一杯だけ。

以前に訪れたカナダ人のファイストのライブもそうだったが、
本命の登場前に必ず前座が入る。
今回も、開場後、前座のグループの演奏が一時間以上続いた。
(この前座の女性シンガーはなかなか良かった)

Coldplay が登場したのは夜9時過ぎ。
7時半から席についている我々を横目に、わかっている客たちは、
ゆっくり9時直前に入場してきた。
ほとんどの席は8時半には埋まっていたかな。

前座終了後の場内。

この後の様子は、文章よりも写真で中継。





ヒット曲を中心にまとめられており、にわかファンや素人も楽しめる内容だった。
ハコが大きいと、盛り上がりもすごいわ。

最後におまけ。興奮冷めぬまま帰路につくファンたち。

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2011年12月8日木曜日

エセックス大学訪問


15年近く前、大学時代に一年間交換留学していたエセックス大学を、
お仕事で訪問する機会に恵まれた。

ロンドンの東の玄関、リバプールストリートから電車で一時間。
記憶の通り周囲に何もないコルチェスターの駅。
バスも出ているが、お客さんと一緒にタクシーに乗った。

大学まで約15分。次第に見覚えのある景色(大型テスコなど)と共に、
遠く丘の上に大学の敷地内に建つ6つのタワー(学生寮)が見えて来る。

率直な感想。

こんなに田舎だったっけ?

街から外れ、何もない所に突然大学があるという感じ。
こんな何もない環境で、よく1年も過ごしたな...。
もっとも当時は毎週ロンドンに遊びに出ていたものだが。

右がかつて住んでいた建物。変わっていない。

手前のモダンな建物は新しい。10年前にはなかった。
でも、この写真を撮った位置の背中にあるコインランドリーは、
昔と変わらず古く狭苦しいまま。寒い中、洗濯物を持って通ったわ。

これも以前のままの図書館。
LSE 時代は図書館に籠っていたが、当時はほとんど図書館で勉強しなかったな。
一体どうしていたんだろう。
そもそも、勉強していたんだっけ?

10年前はまだパソコンが普及していなかったので、
何箇所かあったコンピュータールームはレポートを書く学生で一杯だった。
今はもう、タワー(寮)にも当然インターネットが入っているのだろう。

仕事が終了し、ロンドンへの帰路につく頃には、もう真っ暗になっていた。
お客さんもコルチェスターの街を見てみたいと言うので、
帰りは駅までバスに乗る事にした。

昔は大学から街の中心部を抜け、駅まで20分くらいで到着していたと思うが、
現在はしっかりルートが変わって、倍ぐらい時間がかかった。
エセックス大学の学生村みたいなのが街の近くにできていて、
先述のタワーとは比べものにならないきれいなアパート群が並んでいる。
その付近には、大型のホームセンターや一般向けの集合住宅もできている。
さすがに15年前の歳月は、街のランドスケープをだいぶ変貌させるなぁ。

それでも大学ののんびり感と、コルチェスターの街のこじんまり感は、
記憶の通りだったので、若干安心した。
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2011年11月30日水曜日

クリスマスシーズン到来


ロンドンは11月半ばにはもうクリスマス一色。
上の写真はRegent Street..

こちらは Covent Garden...

写真でもいい感じだが、実際この空間に入ると、実になかなか幻想的。
今年もシングルベルを鳴らさなくて済む安堵感。。

ウォータールー近く、テムズ川沿いにも毎年恒例のクリスマスマーケットがオープン。


クリスマスマーケット=ドイツ&オーストリア。なんで?あれってあの辺が本場なの?
ソーセージやチーズを売るドイツ風の立ち飲みバーが並ぶ。

こちらはチョコレートシャンテリー。うきゃー、美味しそう。

ハイドパークには、毎年ウィンターワンダーランドという即席遊園地が出現。
後楽園ちっくなB級感がたまらん。


移動観覧車。ものすごい速度でスピン。


散歩がてら歩いて向かったHarvey Nichols はなんと雪を降らせていた。
実際近寄って見るとシャボンだったけど、ついはしゃいでしまったのか、泡まみれでその場を去る人の姿も。


街全体がフェスティヴな雰囲気に包まれているのは、さすがヨーロッパ。
寒さも手伝って、全体的に温かみがある。
日本のデパート商戦の盛り上がりとは全然違うね。
オーストラリアの夏クリスマスもなかなかユニークな味があったけど、やっぱこっちだな。

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2011年11月25日金曜日

アイススケート



この時期になると、ロンドン各地にアイススケートリンクがオープンする。

幼少期には稲毛海岸のマリンピアに毎年冬滑りに行っていたものだ。

昨年20年ぶりにロンドンのリンクへ出かけてみたら、案外滑れるものである。
自転車と同じで、一度滑り方を覚えたら身体は忘れないものなのだろうか。

ロンドンアイのふもとのスケートリンク。
45分のセッションをオンラインで予約して、9.45ポンド。


行ってみたら、予約した時間には我々ともう一組しかリンクに入らず、ほぼ貸し切り状態。

全面青いイルミネーションに囲まれながら、幻想的な世界で滑りまくった。

転びませんよ。バック滑りもできます。次回はスピンに挑戦。

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2011年11月19日土曜日

LSE 修了〜1年を振り返る。


このブログの当初の主旨はLSE留学ブログで、実際LSE情報を求めて訪問してくださった方もいるようなので、ここらで久々にLSEネタを挿入させていただきます。
今回ばかりは、LSE情報を求めて、またはなんらかの縁あってこのブログを訪れてくれた方に向けて、「です」「ます」調で書きます。

この度、昨年10月から在籍していたLSEの MSc Environment and Development を無事修了しました。

イギリスの修士は一般的に1年間であっという間です。LSEの場合、実際授業が行われるのは10月〜12月の前期10週間、クリスマス冬休みを挟んで1月〜3月の後期10週間のみ、その後は6月に試験があり、8月に修士論文を提出して終了でした。

卒業に必要な単位は4ユニット で、私は必修の通期(前期と後期両方)1ユニット、選択科目の通期1ユニット、前期の0.5ユニット、後期の0.5ユニット、そして修士論文1ユニットを選びました。

① Sustainability: Economy, Technology and Industry 必修1ユニット
② Environmental Regulation: Implementing Policy 選択1ユニット
③ Population and Development: Analytical Approach 選択0.5ユニット
④ Business Model Innovation: Base of the Pyramid 選択0.5ユニット
⑤ Dissertation 1ユニット

選択科目の選択肢は通期1ユニット、半期0.5ユニットそれぞれ色々あるけれど、0.5ユニットを取るとその分試験の数が増えるので、あえて一つ通期の科目を取りました。
ぶっちゃけますと②はそんな理由で選んだので、あまり興味のある分野ではなかったり...。

①②はコースの後半に3,000語のエッセイがあり、成績の25%に反映され、残り75%は試験の点数で決まります。
③は100%試験の点数、④は試験はないけど2,000語のエッセイ一本とグループプロジェクトが50%ずつのウェイトを占めました。
持ち回りでプレゼンをしたりはあったけど、プレゼンの出来や出欠、またクラスへの貢献度を成績に加味することは一切なし。あくまで「書いたもの」だけが採点の対象になるというポリシーが色濃いです。
これは、学部やコースにより違うのだろうか?不明。

エッセイは文献を見て書くことができるけれど、試験には何も持ち込めないので、あちこちの文献で読んだネタや情報を自分の意見の裏付けに使うために覚えておくのが結構な作業でありました。
特に、国籍不明の外国人の名前を覚えるのは苦労したな...。Smith とか Jones とかなら楽勝なのだが、なんと発音するのかもわからないエキゾチックな名前の学者は参るワ。

6月に試験を終え、8月末に修論を提出し、ようやく成績が出たのが11月18日。
50点以上でPass(可)、60点以上でMerit(良)、70点以上でDistinction (優)というランク分けです。
私の成績はというと... まあおもしろいくらいおもしろくない成績でした。
結果からすると全科目総合で Merit なんですが、全科目が3点のレンジの中に入っている... つまり、特に良い科目もなければ悪い科目もないという、実に平均的な成績に終わりました。

とは言っても、無事に卒業することができて(しかもMerit)、何の文句もございません。
一節によると、Pass で出るのと Merit で出るのでは、後々いろんなところで影響が出るとか?(新卒の就職の場合、気にする会社があるそうです。)
まあ私くらいの年の中途採用ならあんまり関係ないのかもしれませんが...。

1年を振り返って、最も印象に残っているのは... やはり④のコースでインドの田舎に実地調査に出かけたグループプロジェクトでしょうか。
このコースは私が所属していた地理学部のコースではなく、マネジメント学部に横入りして履修していました。
内容に興味があったのも本当ですが、ズバリ『試験なし』が決め手となって選んだコースでしたが...。
結果として、試験勉強以上の時間と労力を、プロジェクトに費やしたと思います。
でも、学んだ内容は最も頭に残っているし、何より一番達成感を得ることができました。

あとは、3月の直後に①のコースのエッセイ提出とプレゼンがあり、地震のショックの中で募金活動しながら作業したのは、我ながらよく頑張ったと思います。(しかもその時期同居人が高熱を出し、そのお世話にも追われていた記憶が...)

よく、海外留学の体験談で、「一生で一番勉強した」という感想を聞きますが、約2ヶ月の試験勉強はまさにそんな感じでした。
特に私は(もう10年以上前だけど)四年制大学時代に、本当にまったく一秒も勉強らしい勉強をした記憶がないもので(汗)、まず勉強の仕方がわからなかった(苦笑)。

成績確定と同時に、申請すれば大学が Post Study Work ビザ申請に添付するレターを用意してくれます。
これをもって、学生ビザからPSWへの切り替え申請に突入です。



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2011年11月18日金曜日

Wembley stadium





放課後、ウェンブリースタジアムにて、イングランド対スウェーデン戦を観戦。

実は数ヶ月前に、イングランド対オランダのチケットを取り、ここに観に来るはずだった。
が、その前の週に勃発した、ロンドン各地での大暴動により、試合はキャンセルに...。
初のウェンブリー、しかもオランダ戦の好カードだったので、あの時ほど世の情勢を恨んだことはない。

今回は、一週間くらい前に、思いつきでネットでチケットを予約。
国際親善試合なんて、すぐに売り切れてしまうと思いきや、意外にも余裕でチケットが取れた。
しかも、当日着いてビックリ。
なななんと一番前の席ではないかい。


ピッチが目の前。
ものすごい臨場感。

手元のホットドッグのすぐ先にピッチが。

イブら紐ビッチもすぐそこ。

熱狂的なファンたちを差し置いて、外国人の我々がこんな特等席を占拠してしまい、いや申し訳ない。

アウェイのスウェーデンのサポーターの一角一握りを除き、ほぼイングランド一色。しかし9万人だか収容のスタジアムの半分程度しか埋まっていなかった様子で、上の方の席はガラガラ。

しかし、5万人近い観衆と一緒に God Save the Queen (イギリス国歌)を歌ったのはちょっと感動でしたな。

それにしても、私が知っている往年のイングランド代表選手はもうピークを越えたのか、代表には知らない名前ばかりが連なっていた。
若手の台頭と言えば聞こえがいいが、うーん、時代の流れを感じる。。


試合はイングランドが前半に一点取ったものの、
後は特に動きという動きもない平凡な展開だった。
全体的にイングランド主導のゲームで、何度か見せ場はあったものの、決め手に欠けるというか。

帰宅ラッシュを避けて試合終了前80分で帰路に着くも、見事に波に飲まれた。

イタリア代表は来ないのかね。来たら行きたいね。
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2011年11月5日土曜日

Bonfire Night



イギリスでは毎年11月15日は花火の日である。

1605年11月5日、国会議事堂を爆破しようとした火薬陰謀事件(クーデター未遂)の実行犯Guy Fawkesにちなんで、Guy Fawkes Day などとも呼ばれている。
結局未遂に終わり、火薬の番をしていたこの男は捕まって、後に処刑(しかもかなり惨い)されたそうだが、この事件を記念(?)し、火薬=花火...と繋がったと想像する。

大学生の頃、コルチェスターという東部の町にあるエセックス大学に交換留学していた時も、この日は町の中心部の広場に皆終結し、寒い中花火を見たことを覚えている。
ロンドンでも今夜は各地で花火がドンドン上がる音が聞こえた。

我々の家の近く、Blackheath という町(Greenwichにもほど近い)でも、ひたすら続くだだっ広い原っぱで、地域を上げての大花火鑑賞会が開催され、どれどれ出かけてみた。

以前一度訪れた時には、かわいい街並だけれどもさほど賑わっているとも思えなかった Blackheath 中心部も、今晩はロンドン中から集まってきた花火見物客で路上はごった返し、飲み屋やレストランも大盛況。

見難いが、移動遊園地(右奥の方の光)も設置される大型行事


6時過ぎに到着し、近隣のパブで一杯やっていると、到着時にはガラガラだった原っぱにもみるみるうちに人々が終結してきた。
7時半に原っぱへ向かうと、群衆も花火鑑賞のスタンバイに入っていた。
なんでも、10万人が訪れる大型イベントと聞いていたが、原っぱがとにかくとてつもなく広いせいか、窮屈感はない。

8時から予定されていた花火は、5分ほど遅れて始まった(5分の遅れはかなり優秀)。
とにかくどこまでも平原なので、前を遮る建物も何もない。
花火は20分くらい続いたが、くっきりしっかりはっきり見えた。

日本で花火というと、夏の風物詩であるため、この寒い時期に花火??というとあまりピンと来ないのだが...。
こちらでは花火は季節を問わない様子。事実、なんとかフェスティバルという折りに一年中ドンパチやっているのが聞こえてくる気も。



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2011年11月3日木曜日

週末パリ







10月31日のハロウィーンが祝日であると大勘違いし、
週末+月曜日の3日旅行を計画してしまったおっぺけぺーですが、なにか?
(祝日のわりには、予約時にユーロスターの料金安いなと思ったもんだ...)

この週末+1日はパリで過ごした。
ロンドン〜パリはユーロスターで3時間強。新幹線で東京〜京都みたいなもんかしら。
しばらく前にネットでチケットを予約し、往復で一万円くらいだったと思う。
こう考えると東京〜京都より安いわね。

パリは気がつけば6回目?7回目?
日本人はみんなパリ大好きで、多大な期待を抱いて訪問し、現実とのギャップにショックを受け鬱病になってしまう「パリ症候群」なんてのも新聞で報道されていたが、私自身は正直これまでパリに魅了されたことは一瞬もない。別に嫌いでもないが(7回も行ってるくらいだし)、毎回これが最後の訪問となっても全く構わないという気持ちで去る。

今回のパリ行きは、私ではなく同行者Kの希望であり、まあすぐそこだし、しばらく行ってないし、冬服の調達にでも行くか、というノリで出かけた。

以下、旅行記。

1日目:
この日で安いチケットを取ったため、ロンドンのセントパンクラス駅出発は6時22分。
一応、海外旅行なので、出国審査もある。一時間前には駅にたどり着きたい。
逆算して、自宅を出るのは4時。前日もぐったりで荷物を作っていなかったので、3時に起きてシャワーを浴び、10分で荷造りして真っ暗闇の中を出かける。
5時15分にセントパンクラス駅に到着。
一応、海外旅行なので、パスポートコントロール等、一通りの手続きを済ませる。
早起きがたたり、電車の中は、大声でわめき散らす大迷惑な子供たちの騒音にも負けず、ひたすら爆睡。
あっという間に朝9時半のパリ北駅に到着。

まずは荷物を背負ったまま、駅から徒歩で「アメリ」で有名な運河へ。
ここも以前に訪れたことがあるけど、今回は運河を船が上って行く様子を生で観ることができ、かなり興奮。

その後、ギャラリーラファイエット経由で、宿泊先のホテルまで歩く。
荷物が重い&朝から何も食べていないので、途中でお腹が空いて、カマンベールチーズを貪りながら歩く。
ラファイエットで、早速渡仏の目的である、フランスのパンを賞味。
日本にもある(けどイギリスにはない)メゾンカイザーのクロワッサン... プライスレス!

チーズを買ったスーパーで、パリの物価の高さを目の当たりにし、ショック!!
500mlのペットボトルの水が優に 1.5ユーロ。
イギリスで売っているのと全く同じブランドの同じジュースやお菓子も、値段はロンドンの約2倍。
(しかし買ったカマンベールは自社ブランドなのか、まずまずお手頃だった)
観光客向けのコンビニだからこの値段かと思いきや、普通にスーパー行っても大差ない価格。
一体、パリの人たちはどうやって生計を立てているのだろうか...。

昼過ぎにホテルに到着。荷物を置いて、一休みして早速出歩く。
宿からほど近くにマドレーヌ寺院というのがあった。
すぐ横には、日本でも有名なフォションのお店。
フォションは紅茶屋と思っていたが、お茶の他にもジャムやら調味料やらお惣菜まで、いろいろ売っていた。
私は紅茶は飲まないので、あまり縁のないお店だが、店内がカラフルで、普段見かけない珍しい商品を見ているだけでも楽しい。
日本人の観光客もさすがに多い。あちらこちらから日本語が聞こえる。


お店の前に突如2匹のうさが。

その後、コンコルド広場へ歩き、セーヌの対岸へ。
ちらちら買物をして、家路(ホテル)に着き終了。


2日目。朝から散歩を兼ね歩く。

気持ち良く整った街路樹。
シャンゼリゼのレオンでランチをしようと思ったが、
始動が早すぎたせいか、開店時間まで待てず、予定変更。

セーヌ川方面へ歩き、目についたカフェで食事。




その後、今回のパリのメインイベント、下水道博物館 (égouts de Paris)!!
レ・ミゼラブルで主人公がパリの下水道を逃げる有名なシーンがあるようですが、
それは私知りません。
ただもう下水道に入れるというだけで、テンション上がるではないですか。





下水道にも、地上と同じようにちゃんと通りの名前がついている。









脈々と続く地下の世界を、すぐ目の前を流れる下水(若干臭う)の轟音とともに大満喫。
だいぶ、長居してしまった 。。



その後は地上の美術館ケブランリを見学し(下水でテンションを上げ切ったので若干お疲れモード)


エッフェル塔を眺め、ホテルに戻り休憩。

夕方気を取り直してレオンへ。
チェーンのムール貝レストランだけど、なぜかパリに来ると毎回寄っている。
お手軽だし、フランス料理が苦手な私には、確実に無難なものが食べられるのでグッド。



隣のルイヴィトンのウィンドウがとても華やかで感動。


夜の凱旋門→思いがけず、きらきら光るエッフェル塔もばっちり鑑賞して帰宅。
ロマンチックとかいう感動を通り越しちゃうベタさたけど、美しいので良し。


翌朝は天気がこの上なく良かったので、またまた定番ながらモンパルナスへ出かけてみた。
ポールで買ったパンを朝食にかじりながら坂を上る。
白い建物、緑の芝と青い空のコントラストが素晴らしい!



さて、ここからが問題。
3連休を満喫するため、夜のユーロスターを抑えたのだが、夜まですることがない。。
もう見るところ見ちゃったし、買物するのも食事するのもバカ高いし、ホテルも出なきゃいけないし、一体どうすりゃいいのさ。
お茶を飲みにカフェめいたところに入ろうとするも、観光客が集まるエリアの昼時は、お茶だけはNG、食事もしなくちゃいけないとか縛りが多い。
おなかすいてないんですけど。。

結局、何度も通ったラファイエットで結構な時間を潰し、、
何をするでもなくうだうだして電車の時間を待つという不毛な時を過ごした。

思い返してみると、パリ滞在の最後って毎回こう。
要は、することがないのよね。。したいことも行きたいところももはや特にないって言うか。
ちゃんと調べればあるのかもしれないけど(下水みたいに穴場の博物館とか)。
だから、毎回もう来なくてもいいやと思って帰るんだろうな。
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