2011年1月12日水曜日

DAY 98: それぞれのその後


最近、インターネットを通じて知った、昔の知り合いのその後。

2007年頃、バイト先で一緒だったT。
同じ高校の後輩でもあった。帰国子女枠で入ったらしいが。
Tは高校卒業後、UCサンタバーバラで環境学を学び、副専攻のドイツ語を学びにドイツにも留学していた。そしてその後、日本でアルバイトを始めた所で私と知り合った。
Tは半年くらい勤めた後、私より先にバイトを辞め、再度渡米した。
その時は国立公園かどこかでインターンをし、そのままグリーンカードを取ると言っていたが、その後連絡は取っていなかった。
たまたま思い出してTの名前をGoogle 検索した。
Tは今、West Virginia のどこぞやで、Sustainable Community Building みたいなののProgram Manager をしているらしい。Bio を見ると、アメリカ及びドイツの教育機関が運営するMBAも取得したようだ。
4年の間で、人生ずいぶん動いたもんだ。すっかり偉くなっちゃって。


2009年、オーストラリアで一つ屋根の下に暮らしていたF
Fは台湾人だが、アデレードの大学を出てオーストラリアの永住権を持っていた。
彼女は私が住んでいた部屋の入ったフラットのオーナーの娘で、同じくそこに住みながら、知り合った当時は我々からの家賃収入で暮らしているような、いわゆる何もしていない女だった。(それが気に入らなくてその部屋を出たんだけど)
なんだか spiritual な人で、よくわからないけど自己啓発系のセミナーに毎週参加したり、部屋の壁には自分のライフプランを大きな紙に書いて写真付きで掲げたりしていた。
彼女はシェフで、自分のレストランをオープンするのが目標で、かなり細かくその具体的構想をこのライフプランに書き入れていたのを覚えている。
Facebook の友人を削ろうとして開いた友人一覧でたまたま彼女を見つけ、久しぶりにページを開いてみた。
本人の書き込みはないが、その友人たちの書き込み&写真から、以下のような現状が窺えた。
どうやら彼女は、Coogee Beach にレストランをオープンさせたようだ。
Coogee は、彼女が当時から付き合っていたダメ男と一緒に落ち着きたいと言っていた場所だった。
そして、彼女の店と思われるレストランのHPリンクが貼られていたので開いてみると、かつて彼女の部屋の壁のライフプランに描かれていたものとほぼ同じ、ピンクのLotusのレストランロゴが描かれている。
ああ、彼女は自分の描いた通りの店を構えたんだな、ということがわかった瞬間。


私ですか?
5年、10年前から私をよく知る人が、今の私の現状を知ったら、『ああ、この人ついにロンドンに行ったんだな』と思うかな。
確かに、2〜3年前と比較すると、物理的、地理的には大きな変化があった。
しかし、何か成果を遂げたか?と考えると、残念ながらそれは疑問である。
OK、大学院に入学したというのは成果だが、果たして自分自身の価値は少しでも高まったのか?

隣の芝は青く見えるとは言うけど、
自分のうちの芝と見比べて、手入れの必要性の焦燥に駆られた。



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