病院3日目は、病院内でスタッフのインタビューに専念した。
目的は、この病院の経営モデルのコンサル資料収集。インタビューの質問は全て open end questions (答えがイエス、ノーだけで終わらないようにデザインされた質問)で、現状の病院運営、患者サービス、および今後の個人のキャリアプラン等について、とにかくスタッフに語らせることが大事。
個人情報が絡む事、正直な答えが欲しいため、通訳は使えない。よって、英語を話すスタッフのみに限定されてしまうため、この辺りが本プロジェクトのデータ収集における大きな制約となってしまうが、まあ仕方ない。
外は連日40℃オーバーと思われる暑さなので、院内にいられて逆に助かった。冷房こそないが、扇風機をまわしてくれる。
病院での我々はかなりの好待遇でもてなされていた。寝室や食事を無料提供してもらっているのはもちろん、時折コーヒー(甘いので飲めないけど)を差し入れしてくれたり、作業がしたいと一言申し出ると、ノートパソコンを貸してくれたり、また自分だけのために扇風機をまわしてくれたりもした。扇風機と言っても、日本にあるようなコンパクトなものではなく、小型の冷蔵庫くらいの大きさの、かなり燃費の悪そうなものである。最初はその埃をかぶった扇風機から出てくる風を信用できず、暑いのを我慢して風を避けていたが、3日目にもなるともうどうでも良くなってきた。
おまけに、飲酒が(まして女性の)一般的ではないこの地域で、我々には毎晩冷たいビールとおつまみが振る舞われた。
食事も同様。次第に我々の好みを考慮してくれるようになったようで、もはや手を付けないものは生野菜のみになっていた。
グラスは相変わらず信用できず、ミネラルウォーターは大きなボトルから(ロンドンから持って来た)小さいマイボトルに入れ替えて飲んだ。また、食事は先に食卓に皿が並べられ、一品ずつ調理担当のスタッフが盛りに来てくれるのだが、時折濡れている皿は、こっそり一人テーブルの下でナプキンで拭いた。
また、一緒にやって来た西洋人が郷に従い手で食事を摂る中、私一人最後までスプーンとフォークを手放せなかった。
これは朝食で出たサモサ。前日夜のおやつに出て、美味しさに感動をアピールしたら、朝も登場。
気を遣っていたつもりだったが、この日から、例に倣いやってきた。お腹がおかしくなった。
噂通り、予想はしていたものの、こんなにお約束通りにやってくるとは。
決して胃腸は弱い方ではない。水も気を遣い生野菜も避けているのに、私一人真っ先に当たった。
今思えば、スプーンとフォークを放棄し手で食べたほうが清潔だっただろうか。あと、暑さに負けて出されたスプライトをグラスから飲んでしまった。でも一度だけ。
食事を楽しみ始めただけに、ここでお腹に見舞われるのは痛かった。外出がなかったのがせめてもの救い。
この日は午後、大事件があった。
前述の通り、ここにはシャワーがなく、水道の蛇口からバケツに水を溜めて水浴びをする方式のため、トイレと洗面台の脇に大きめのバケツと柄杓が置かれていた。もっとも私はそれらも使わず、大きなペットボトルに水を為、頭からかぶっていたのだが。
そのバケツが位置的にちょっと邪魔だったので、トイレに入る際に手で持って動かした。それが惨劇の始まりだったのだろうか。
お腹をこわしているので、20分後、再びトイレのドアを開けると、そこにあったのは...
ありまみれで真っ黒になったバケツと柄杓!!
ぎゃあああああ、今思い出すのもうげー無理無理無理ムリむりーーー!!!
20分前とは変わり果てた姿になったバケツに、もうわけがわからずただ絶叫。
驚いて飛んで来た同部屋のフィンランド人も絶句。
逃げ惑う私の姿を見て、さすがにどうしようもないと思ったのか、全て彼女が始末してくれた。
彼女は以前にブラジルで7ヶ月間滞在し、その間ハンモック生活をしていたらしく、虫には慣れていると言っていたけど... いやそれにしたってねぇ。本当にもう頭上がりません。
ショックからの立ち直りにしばし時間を要した。
陽も暮れる頃、病院主催の "cultural programme" を見学ということで、病院スタッフ数人と共に車で出かけた。
来る時は気づかなかったが、車で5〜10分は知った所に、割と大規模な村(というより町)があった。そこを通過しさらに15分程走った集落で下車。
もう陽もどっぷりと暮れて暗闇の中、路上に人々、犬、そして牛が溢れかえっている。
照明が煌煌と照らされたそこには、プロレスのリングのようなイベント会場が出来ていて、地元の人たちが集まっている。一体どこにこれだけの人数が暮らしているのか、ざっと500人以上はいるかと思われる。さすがインド。
一番前に用意されたVIP席(?)に通され、着席するなり、群衆が一斉に我々の写真を撮り始めた。外国人が珍しいのか...。ちょっと気持ちいい。
始まったのはプロレスではなく、この地方の民族音楽&歌のショウ。
出演者の男性4人は、皆太鼓を持っているが、これとは別にバックに弦楽器ののっぺりした音楽がかかり、、リビアの車内でさんざん聞かされたコーランのラジオ放送みたいなのを思い出した。
一時間ほどの演目を鑑賞。帰りもまた、我々は盛大な見送りを受けた。
見知らぬ地元民が、車に乗った我々全員にジュースをくれた。
しかし、見るからに身体に悪そうな原色オレンジの液体で、ストローもささっていないので、申し訳ないがパス。私の分はフィンランド人にあげた。
ここまでくると、こうしたおもてなしを悉く受入れられないことが非常に申し訳ない。
発車間際まで、車は四方八方、カメラを持った地元民たちに囲まれ、なんだかわからないが声をかけられまくっていた。まるで芸能人になった気分。ちょっと気持ちいい。
帰り道、同行した病院スタッフの奥さんの誕生日プレゼントを買うのに付き合い、サリー(インドの民族衣装)の店に立ち寄った。
基本、店中に積まれた生地の中から好きなデザインを選び、採寸して、オーダーメイド。
2日くらいで出来るから、と勧められたが、これと言って気に入った生地がなかったのでパス。
値段はデザインや素材によってまちまちで、安いものは1,000円くらい、高いのだと4,000円くらいしたと記憶している。
病院に戻るともう10時をまわっていた。
皆疲れていたので、このまま就寝かと思いきや、屋上に通された。
テーブルがセットされていて、間もなくビールとおつまみが出てきた。
病院幹部と、LSEの学生。照明もない屋上で、星空の下、飲み会が始まった。
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