2010年12月12日日曜日

DAY 80: 開発とビジネス


DAY 79 は一日中眠って終わったので日記割愛。しかし、夜型生活が抜けるまで相当かかりそう...。

プリングルスの Thai Sweet Chilli 味... こんなものを売り出すのはやめなさい。買ってしまう。


今 日は午後から、英国開発学勉強会(IDDP)主催の勉強会があった。10月末くらいに第一回目に訪れたあれである。第2回目はパスし、今日が3回目だっ た。場所はRussell Square 近くの Institute of Education という、これまたロンドン大学の一派らしいが、正直そんな学校があるとは存じませんでした。。

普通の人なら確実にバスに乗って行くであろうところ、この私は Borough Market と Southbank をうろつきながら1時間くらいかけて歩いて行った。

本 日のテーマは「開発とビジネス」、主にフェアトレード、倫理的貿易について。講師はアジア経済研究所(JETRO の一派では?)/ Sussex大学開発研究所客員研究員の佐藤寛氏だった。サセックス大学というのは開発学で結構有名で、この勉強会にも毎度ブライトン(ロンドンから南1 時間くらいの海辺の街)から多数の学生が出席している。

以下、要点。

開 発とビジネスとはこれまでパラレルでそれぞれ独立していたが、昨今融合の兆しを見せている。その理由として、開発側は主に資金面で支援を要すること、 また、一部で途上国の援助はやめるべき(助けるから育たないから)という声が上がっていることが挙げられ、一方ビジネスにおいても、自由経済への不審感の 高まりにつれ、株主配当を公益投資に充てる案他、社会的ビジネスの機運が高まっている。

これに伴い、企業はもはや生産から消費まで一環した社会的責任を負うという認識が高まってきた。そして、そのプロセスにおいて反社会的、反倫理的な部分 - 児童労働や環境汚染等 - があると、企業が叩かれる。特に英国やオランダなどではこうした動きが大きい。

そ れに比べて日本は、倫理的なビジネスやら企業の社会的責任という部分においては先進国の中で大きく遅れを取っている。大企業では CSR(Corporate Social Responsibility)部門など設けているところもあるが、一般的には例えば利益の一部でどこかに植林したりという付帯的な活動により社会に還元 するというやり方が主流のようだ。また、日本においてCSRというと、どこかチャリティ的な色合いが顕著である。しかし、今論点となっているのは、生産か ら消費までの総合的なプロセスにおける社会的責任である。ゆえに、たとえCSR部門が木を植えるのに奔走したところで、中国の工場の労働者に妥当な賃金を 払っていないとか、下請けの会社が汚染物質を海に垂れ流しているとか、契約農家が農薬をばらまきまくっているとかを経て生産されたサービスを提供している 会社はNG。あくまで本業に組み込まれたCSRを推進していかないと、やがて社会に叩かれる運命を辿るのだ。

日 本がこうした動きに出遅れている要因はいくつか考えられる。個人的には宗教の影響も大きいのではないかと思う。ヨーロッパにはキリスト教という共通の信念 が浸透しており、「慈愛」とか「強いものが弱いものを助ける」といった精神が深く根付いている。以前 ODA の講演を聞いた際にも出た話だが、こうしたキリスト教精神が援助活動のドライバーとなっていると言うのは一理ある。一方で日本は地理的にも孤立し、鎖国も 手伝ってかいわば特種なビジネススタイルを発展させてきた。今日に至ってももっぱら焦点は中国市場に偏り、途上国へは足を伸ばしていないどころか、興味も 薄い。経産省が言うような「日本企業のガラパゴス化」は否めないと思う。

そんな中、この点、日本においてはシャープが先進企業と言われているとどこかで読んだ。あとはユニクロ。ロンドンにもユニクロは何軒もあり、Regent St. の一等地に店を構えるからには、欧州基準の CSR を実践しないと生き残れない。

話 はフェアトレードを中心に展開した。イギリスはスーパーマーケットが個人の消費活動に占める割合世界一らしく、このブログにも度々登場する Tesco、Sainsbury's、Marks&Spencer ら大手がこぞって自社ブランドの商品の確立と定着に乗り出している。そして店頭に並ぶ商品には往々にして Fair Trade マークが付いている。店舗によっては Fair Trade コーナーが設けられていることも多い。以前は普通の商品よりも値段設定の高かった Fair Trade 製品も、次第にその価格差が縮まり、選んで Fair Trade 製品を買う消費者は20%を超える。50%はどっちつかずの浮遊層なので、この50%の取り込みが Fair Trade 推進家たちの目下の課題である。それに比べ、日本における Fair Trade 製品の認知度および普及度はまだまだ低い。昔ベルマークってのがあったが(今もあるの?)、あれは教育資金確保のために民間を利用した成功例。こうやって 国外(途上国)への関心を煽ればどうにかこの分野での日本の台頭に期待できないものか。

思 えば、その昔NGOのプログラムに参加した時も、今こうして途上国開発の議論をしている折にも、自分は日本にいないので、日本の現状ってわかるようでわか らないわね。多分、日本でサラリーマンしていたら、途上国うんぬんの事考えるより、自分の給与明細の数字が上がることが重要事項になるのは間違いないと思 うし、仕方がないと思う。だって社会がそういう仕組みを作っているから。まあだからつまりどんな議論を展開したところで日本が drastically 変ることは期待できないと思うし、日本が drastically に変った所でこの世の現状がどれだけ好転するのかわかったもんじゃないけど、個人的にやや逸れた部分で思うところはある。社会の仕組みが変るのは時間がか かるが、個人レベルで、例えば毎日会社に行ってああこの仕事つまんないなと思いながらやってたり、もう人生落ち着いちゃって後は老後を待つだけになっ ちゃっている人生に、例えば世界の別の所で明日の食べ物に困っている人がいることを認識し、なんとかできないかという意識が芽生えることで、自分の人生に 何か今以上の value を見いだすというか、何か変えようと思ったり、何か行動を起こす事で自分の人生に付加価値を付けるきっかけになれば、もうそれでじゅうぶんなリターンにな ると思う。多くの人がこういう意識を持つ事で、変らない社会も変るかもしれない。こう言い始めるとなんだか spiritual な議論展開になりそうだが、要は個人の視野が広がることが大事なんじゃないか?それが直接例えば途上国の発展に繋がるかはわからないが、人生はより充実す るはず。

なんか長くなった。自己主張が止まらなそうなので、そろそろ切り上げよう...。(かなり中途半端)

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